#02『Pearl パール』タイ・ウェスト 監督(3)

【勃つ男がいないイエで、セックスシンボルになりたいオンナ(第3話/全5話)】

神話がないアメリカで、『オズの魔法使』は「最も美しい寓話」として聖典のように語られる。そんな物語を引用&解体し、スラッシャー映画に取り込んだのが、本作『Pearl パール』である。よってこの映画のルックは、1939年のミュージカル映画『オズの魔法使』のテクニカラーを模して、ホラーなのにまばゆいばかりの色彩で描かれる。

『オズの魔法使』は無垢な少女ドロシーが、恐ろしい闇の世界を通り抜け、自己を発見する夢の物語だ。それは迫害されたり悪事を犯したり、貧しさゆえに逃げたりした先で重労働し、先住民の土地にイエを建て死守する開拓の民、アメリカ人の歴史に重なる。

モノクロで描かれるカンザスの農家から、竜巻に吹き飛ばされ、総天然色の「オズの国」で冒険し、幻から醒めて再びモノクロのイエに帰ったドロシーが言う「おうちがいちばん(There’s no place like home)」というラストの台詞は、開拓民であるアメリカ人にとっては、祈りのようなことばなのだ。

開拓民=アメリカ人にとって「ホーム」とは単なるハウスではない。それは、幸福の象徴であり、アイデンティティそのものであり、「魂の帰還場所」なのだ。「ホーム」がたとえ「オズの国」と違って彩りのないモノクロームの世界であったとしても、そこは安らぎと「天からの守り(hallow)」がある、特別な場所なのだ。

南北戦争時代には、「ホーム・スイート・ホーム」という歌が、北軍・南軍双方の兵士に愛された。「楽しきわが家」は、敵味方分け隔て無く、分断されないアメリカ的な価値観だ。「オズの国」に行ったドロシーがもとの場所に戻って物語が閉じるのは、放浪や冒険だってホームがあってこそ、という開拓民ならではの、苦労に即した価値観にそっているのだ。

大谷翔平は、ユメを叶え死ぬほど稼ぐだけでなく、妻子とデコピンを愛し育む「ホーム」さらには「ファミリー財団」を持つという「ホームラン」を打ったからこそ、かの国で尊敬される。たどり着いたユメの先で、帰りたいイエとなるデカいホームを構え維持していくことが、「アメリカン・ドリーム」というものなのだ。

アメリカにおいて、「ホーム」はそれほどまでに理想化され神聖視されているからこそ、野球で点が入るのはホームに帰ってきた時だ。野球と『オズの魔法使』は、同じ美意識でつながっている。「ホーム・スイート・ホーム」は「アメリカン・ドリーム」を象徴する価値観である。

ホームを厳格に保つニンゲンは尊敬される一方、そこからはみだす者たちはアウトロー=悪人と処理するのがアメリカでもある。
「ホーム・スウィート・ホーム」を信仰するアメリカ人にとって、唯一絶対の聖域であるはずのホームを侵されることは、最大級の恐怖だ。『Pearl パール』がホラーとして鳴り響くのは、「ホーム・スウィート・ホーム」の幻想を打ち砕き、「アメリカン・ドリーム」など「ない」と断言するからだ。

夢も希望もホームもないというリアリティを、この映画ではどのように描いていくか、具体的にみていこう。

映画のファーストショットは閉ざされた暗い家畜小屋だ。主人公が弱い家畜と同等だということをほのめかす絵作りである。その扉が開いて物語がはじまったと同時に、主人公の獣性は解放される。しかし開いた扉の先の明るい世界に立ち塞がるのは、アメリカ人の愛する「ホーム」だ。家畜小屋から出られても、「ホーム」からは離れられない。

はみ出し者のアメリカ人・パールは、「ホーム」だけでなく、「ホームタウン」からも脱出するため、人生をかけたオーディションを受ける。しかし、あっけなく落ちる。

「ここではないどこか」を永遠に失ったパールは、義妹に約7分間にわたって長い告白をする。「おそれず、うやまわず、慈悲を請わず」に生きてきたパールが、教会で自らの罪深さを懺悔するように、長々と話すのだ。おそれ、うやまい、慈悲を請いながら。システムへの完全服従である。

懺悔を聞いてくれた義妹ミッツィーを、パールは斧で殺す。ミッツィーは、教会からも認められたブロンドで裕福なアメリカンガールで、「アメリカン・ドリーム」への道をひた走る「持てる者」だ。オーディション会場では彼女だけが青いドレスを着ていた。ミッツィーこそが、オズの国に旅立てる「ドロシー」だから、「ここじゃないどこか」へのチケットを手にできたのだ。しかし彼女の未来はパールによって閉ざされる。

「持たざる者」パールは、システムにひざまずき、「運命を受け入れろ」という母に屈服した。よって「内面化した母」のピューリタニズムを発動し、享楽に生きられるミッツィーを、罰を与えるように殺す。

「おそれず、うやまわず、慈悲を請わなかった」オンナが「自分は無力だ」と思い知ったら、どうなるか? 傲慢と強欲を制すことができず、ユメを掴もうとあがき挫折した先にあるのは、集団生活と自己の崩壊である。

神はパールを、アメリカ的ではないという理由で見放した。「ブロンド」でもなく「若く」もなく、「未知のファクターX」でもないパールは、「ホーム」を偽装し、せめてアメリカ的であろうとあがく。

スターになるというユメに破れ、イエに囚われ続けることが決定的となったパールは、「理想の家族像」を無理矢理作ろうとする。それは、逃げたかったイエこそが、帰りたかった場所だと思い込むための儀式であり、「ホーム・スイート・ホーム(楽しきわが家)」の偽装である。

「ホーム」の崩壊は、アイデンティティの破壊も意味する。自らの手でホームを壊したパールは、アイデンティティも壊れてしまった。パールは「アメリカン・ドリーム」に挫折したなれの果ての光景、ウジのわく豚をとりかこむ両親の死体という、グロテスクな食卓の光景を創り出す。

それは『悪魔の生け贄』の有名なワンシーンの引用であると同時に、当時の過酷な労働現場のおぞましい裏話を視覚化したものでもある。『悪魔の生け贄』の現場では、エアコンのない暑い部屋で撮影が長時間続けられていた。動物の死体が腐り悪臭を放つ殺気立った現場で、キャストやスタッフは嘔吐や気絶に苦しんだとされる。

加害者パールの痛々しさを通して見えてくるのは、ハリウッドという幻を支えた「ブラック労働現場」を告発しようとする態度である。パールが憧れた幻の実体を暴き立てるために、パールの加害が描かれていく。ハリウッドが描いてきた「スウィートホーム」なんて「ない」からである。

権力に、イコール母の思想に屈服し、奴隷の人生を生きることにしたその時になって、第1次世界大戦の戦場から、夫は帰ってくる。パールはそれを笑顔でむかえる。ひきつった笑顔が数分間にわたって映し出されるラストシーンは、地獄である。

パールは、『オズの魔法使』のラストの台詞を、呪いのように脳内で繰り返し生きていくのだろう。

「おうちがいちばん」

スラッシャー映画の殺人鬼は、不気味なマスクや覆面で顔を覆うのが常だ。スペイン風邪が流行る世界で、ソトにでかける時はマスクで防御するしかなかったパールの顔には、ラストシーンで、ひきつった笑顔がはりつく。

システムに敗北した囚われのオンナは、自分の顔ではもう生きられない。カタチだけの「ホーム・スイート・ホーム」を守り続け、「よき妻」という仮面(ペルソナ)をかぶって、長い生を送るしかない。素顔に張り付いたグロテスクな笑顔は、レザーフェイスがかぶる「人の革性のマスク」と同じである。

この映画が語るラストは、1918年のオンナに幸福などないという残酷なリアルだ。本作に、地獄を抜け出し自由になれるオンナなんて、ひとりもいない。アメリカン・ドリームが手に届きそうなミッツィーだって、「持たざる者」パールの嫉妬に殺される。

なんと救いのない映画だろう! しかし、夢が叶う人がどれほどいるのか? なぜ、夢が叶うというウソばかり、聞かされねばならんのだ?わたしは、騙されたくなんてないのだ。 というわけで、本作は本当のことを描いたウソとして、大変真摯で誠実な態度で創られた映画だとわたしは思う。

罰せられるべきバッドガール=パールは、殺人鬼として生き残る。この映画のファイナル・ガールは、殺人鬼パールだ。ファイナル・ガールは、生き地獄とゆう罰を与えられた、殺人鬼のなれの果ての姿なのだ。

パールの不気味な笑顔は、画面が円形に絞り込まれながら暗転していく演出技法=アイリスアウトで消える。アイリスアウトは句点である。永遠の「おしまいおしまい」だ。パールの悲劇は、喜劇のまま絞り込まれ、だんだん小さくなり閉じ、暗闇だけが残る。

観客は、パールの顔面に硬直した笑みという鉄仮面がはりつき、物語が闇に閉じた60年後、前作『X エックス』の世界が続くことを知っている。永遠のルーザーとして、イエに囚われ続けたバッドガールは60年後、自分にソックリな、マキシーンという名前の女に出会う。そのオンナこそが、未知のファクター「X」である。

70年代に「アメリカ的」なオンナは、ブロンドではない。自由と個性の象徴として、デニムのオーバーオールを着て、ユメとカネのために女性上位で男とファックするオンナだ。作業着でしかなかったデニムのオーバーオールを着て、イエに縛られ労働していたパールの挫折をすべて乗り越えたマキシーンは、男社会の地獄をサバイヴしていく。

パールは悪女としてイエに囚われたまま、テキサスを出ることなく絶命し、マキシーンはファイナル・ガールとしてテキサスからハリウッドへ飛び出し、ユメを掴む。

マキシーンという、自由と解放をつかみとる主人公の前に、パールという抑圧されたキャラクターがいる。殻からはみ出して「わたしらしく」生きるようと、もがき苦しむオンナの姿を、ホラーにしたのは誰なのか?

お知らせ