#02『Pearl パール』タイ・ウェスト 監督(2)
(日本公開2023年)
【勃つ男がいないイエで、セックスシンボルになりたいオンナ(第2話/全5話)】
『Pearl パール』は『X エックス』の前日譚だ。舞台となる場所は『X エックス』と同じ。前作のラストシーンで屍累々の惨殺現場となったテキサスの農場は、うってかわって明るく鮮やかな風景として描かれる。とてもホラー映画のルックとは思えない。まるでディズニーアニメみたいな「総天然色」の美だ。
なぜ本作は、「ホラー」映画なのに明るく鮮やかな色彩で描かれ、主人公パール(ミア・ゴス)は、嘘くさいほど美しい世界で「殺人」を犯すのか。その答えを探ることが、本作のテーマを理解することにつながる。
パールが暮らすのは自分の実家だ。見た限りスウィートホームでしかない。そこに住むのは、若妻のパール、実母、実父、家畜たちだ。娘婿であるパールの夫は、第一次世界大戦の兵士としてヨーロッパで従軍し、不在である。
「コミュニケーションが不可能な勃たない男」というスラッシャー映画の殺人鬼のキャラクターは、障害者で話せないパールの父に集約されている。しかし彼は悪ではない。気の毒な弱者で、暴力の被害者だ。このシリーズで「スラッシャー映画あるある」は解体され、フェミニズム視線でアップデートされるから、「勃たない」男は見下されたりはしない。加害者である悪は、彼をケアする娘のパールである。
『Pearl パール』の時代設定は1918年だ。前作『X エックス』の60年前、日本においては大正7年というその年は、第一次世界大戦終結直前であり、世界的にスペイン風邪が流行している。戦争とパンデミックが重なる厄災の年のワカモノたちの個の欲望は徹底的に抑圧されている。
1918年は、アメリカで女性が参政権を勝ち取る2年前の世界でもある。
パールも母も、「オンナがイエに縛られるのは運命」だと思いこみ、女性の自己犠牲的なふるまいが、男性中心主義的システムによって強いられたものだということは認識できていない。オンナたちには女性差別が「見えていない」から、男の加害が「直接的に」描かれることはない。
勃起する男が居ない場所でセックスから遠ざかり、家畜を加害しながら暮らす暴力的なオンナのイエを、訪ねてくるのは夫の母と妹だけ・・・生活の苦労はあるけれど、一見平和な明るいアメリカの農村に暮らすパールが、「人殺しに開眼」してしまうのは、暗闇にわざわざ足を運び、暴力を「観た」からである。彼女は映画館で、戦場を目撃してしまうのだ。
パールは街へおつかいに出る時、母から「病気を持って帰らないで」ときつく言われた。だからちゃんとマスクをして、街にでかけた。父の薬を買ったおつりでこっそり映画館に行き、父の医療用麻薬をちょっと舐めるために、マスクを外してしまったのだ。その時に流れていたのが、第一次世界大戦のニュース映像(ニュースリール)である。
「ニュースリール」とは、テレビが普及する前(1910年代〜60年代頃まで)に、映画館で本編上映前に流れていた、ごく短いニュース映像のことだ。パールは映画館の中でマスクをはずし、買ったばかりの父親の薬「硫酸モルヒネ液」(医療用麻薬)をちびりちびりやりながら、大砲を撃つ兵士の姿や、爆撃や、真っ黒い顔で叫ぶ兵士の映像を観てしまう。
そこで彼女は感染してしまったのだ。母が心配したスペイン風邪ではなく「人殺し」に・・・。
パールがやる「殺し」が衝動的で、まるで突発的な発作のように描かれるのは、それが彼女自身には制御できない病の症状だからだ。「殺人」というウィルスに感染し「患う」ことによって攻撃性が現れ、結果的に暴力をふるってしまっているようにわたしにはみえる。
殺人という病の感染源は「映画館」で、ウィルスは「映像」である。映画のパンフを見つけた母が、パールにこう言う。「あなたは病気なのよパール、いずれ誰かを傷つける」。
パールが映画館からの帰り道にやった行為は、「レイプ」である。黄金にそまるトウモロコシ畑に立つ「カカシ」を、パールは女性上位で犯す。
映画館からの帰り道。パールは出会ったばかりの、映写技師からもらったフィルムの1コマを胸に忍ばせ自転車をこいでいる。風が吹いてきてフィルムが飛んでいってしまう。パールにとって、映画のフィルムはいつか届くと信じている「ここじゃないどこか」につながるチケットだ。探しまわるうちにパールはいつの間にか、カカシの前にたどりつく。
この映画の鮮やかなルックは、1918年当時の映画の色合いを模している。1910年代から50年代にかけてハリウッドを中心に広く利用された、初期のカラー映画製作技術を「テクニカラー(Technicolor)」という。日本語では「総天然色」と訳されるこの技術で描かれた代表的な映画が、1939年の『オズの魔法使』だ。パールの内面は常に暗黒なのに、彼女のいる風景が嘘くさいほど輝いているのは、『オズの魔法使』のテクニカラーを模倣しているからだ。
しかし殺人鬼パールに、『オズの魔法使』の主人公、ドロシーの旅の仲間だったカカシをファックさせるなんて、さすがに酷くないか? 誰もが知る名作を、ズリネタにして冒涜するのはなぜなのか?
それは映画『Pearl パール』が、#MeToo以降のフェミニズム的な批評精神に満ちたホラー映画で、『オズの魔法使』はジュディ・ガーランドという才能溢れる女優を虐待した映画だからだ。
ハリウッドを頂点とする映画産業は長年、男目線(メイルゲイズ)だけを動力としてきた。故に、男の欲望に即して、オンナを搾取し発展してきた業界である。女性の肉体と精神の搾取は、作品の内容面だけにとどまらず、製作現場の役者たちにも、直接的な被害を及ぼしてきた。#MeTooが告発したのも、それである。
当時17歳だったジュディ・ガーランドが「虹の彼方に」を歌うことで有名な『オズの魔法使』が公開されたのは1939年だ。カンザスの農場に住む少女ドロシーが、竜巻に巻き込まれてイエごと吹き飛ばされ、テクニカラーで描かれる不思議な「オズの国」へと迷い込むミュージカルである。カカシはドロシーが「オズの国」で最初に出会う旅の仲間で、農民の象徴だ。
パールとドロシーには共通点がある。厳しい現実から逃げたいと思いユメみるオンナであること。農場育ちだということ。
『オズの魔法使』で描かれるカカシは、「脳みそがないから、何が正しいかわかんない」と言う。パールが「でくの棒」のカカシをファックするのは、「正しいことがなにかわからない」かかしを「ハリウッド」に見立てているからだ。
『オズの魔法使』の労働現場の裏話は、ヤバいことだらけだ。スタジオシステムが役者たちに強いたグロテスクな搾取は、吐き気がするレベルである。
17歳のジュディ・ガーランドは、実年齢よりずっと幼いドロシーを演じるため、実母と「MGM(ライオンが吠えるオープニングロゴでおなじみの老舗映画スタジオ)」の重役たちから、その肉体を徹底的に管理された。
体つきも大人っぽくなり、もう少女役は無理だったジュディの胸は、きつく縛り付けられた。体重を減らすため、コーヒー、たばこ、スープのみという厳しい食事制限が強いられた上、食欲抑制剤として覚醒剤(アンフェタミン)まで与えられた。
覚醒剤の副作用で眠れなくなったジュディの不眠解消のために、大人たちは睡眠薬としてバルビツール酸系薬剤を飲ませた。こうしてジュディは、ローティーンの頃からドラッグ漬けとなり、深刻な薬物依存に生涯苦しむ。
ジュディは主人公を演じる役者として、リスクの高い長時間労働を強いられていた。にも関わらず、主要キャストの中で最も低い報酬だった。さらに酷いことに、ともにスタジオシステムから搾取される立場であった小人(マンチキン)役の年長男性から、性的な厭がらせの被害にまであっていた。暴力の被害は常に上流から下流に流れ、もっとも低い場所で溜まるのだ。
ひどい目にあっていたのは、ジュディ・ガーランドだけではない。この労働現場は、全労働者にとって搾取的だった。
ブリキの木こり役を演じた役者は、顔に塗ったアルミニウム粉末を吸い込み、重度の呼吸困難で入院、代役は目に重い感染症を負った。ライオン役が着用した衣装は本物のライオンの皮製で、重さが約40キロもあった。魔女役は火薬の爆発で重度の火傷を負い、ケシの花畑で降っていた雪は、アスベストだった。
過酷な労働を強いられていたジュディ・ガーランドは、支配的な母親から逃れたい一心で18歳という若さで結婚したが、イメージ低下を恐れたMGMスタジオの意向により19歳で強制的に中絶させられる。数度にわたる強制的な中絶やスタジオからの虐待、長年の薬物使用により身体と精神は蝕まれ、幻聴や被害妄想に苦しみ、47歳で睡眠薬のオーバードーズにより亡くなった。
それが『オズの魔法使』のリアルストーリーである。虹の向こうの幻を見せるために、ズタボロになった役者たちがいるのだ。
パールは映画に魅せられて、虹の向こうの幻を目指すオンナだ。支配的な母から解放されたいと願いながら「よい娘」を演じ続けるパールが、映画館で麻薬を飲んでいる姿は、スタジオシステムに搾取され覚醒剤を与えられながらドロシーを演じていた、ジュディ・ガーランドの姿が重なる。ジュディもまた、支配的な母との関係で悩んだ女性である。
加害の前に、必ず被害がある。カカシを女性上位でレイプするパールは、オンナを搾取し続けた男目線のハリウッドを陵辱するために生み出された毒婦である。スクリーンの向こう側に行きたいと願う「持たざる」オンナが、麻薬で鎮痛しながら「映画という幻」にまたがる背景にあるのは、「正しいこと」が何かわからずジュディ・ガーランドをひどい目にあわせた、スタジオシステムの悪行があるのだ。
ユメに破れる田舎の貧しい若いパールは、映画産業が女性に及ぼした被害によって、立ち上がった加害なのだ。本作は女性労働者による「ハリウッドへの復讐譚」である。
パールがイエごと吹き飛ばされたいと願う「ここじゃないどこか」=「オズの国」なんて「ない」のだ。映画産業という巨大なシステムが、女性や末端の労働者たちを搾取し、ドラッグ漬けの長時間労働で創りあげた幻が『オズの魔法使』だとする本作は、映像を撮る行為に内包されてきた暴力や搾取を、恐怖として描くホラーである。これは「中の人」が「中の事情」を物語に置き換え、批評する映画なのだ。
『Pearl パール』が描く恐怖は、わたしたちが名作として観賞してきた幻は「信用ならざる美」ではなかったか、という問いだ。美しいテクニカラーの風景のなかで、幻に憧れ裏切られていくパールの絶望は、女優たち、末端の労働者たちのそれである。パールの挫折は、映画の美を信じ眺めてきた、観客であるわたしたちの落胆でもあるのだ。
ラストシーン、引きつった笑顔で観客の方をまっすぐ見つめ続けるパールの顔は、『オズの魔法使』を鑑賞するわたしたちの顔だ。『Pearl パール』が『オズの魔法使』を引用して描いたことは、搾取され創られた美でもあなたは「無邪気に」観られるか、という答えのない問いである。
『オズの魔法使』の異様な美を眺める時、わたしの脳内には「タイムズ・アップ!」という文字が流れ、パールの永遠の微笑みも浮かび上がる。ユメが叶わなかったテキサスの貧しい悪女が切り裂いたのは、ハリウッドが描いた醜い美である。
※参考記事
ELLE「毒家族に生まれてVol.6 ~わがまま薬物降板女優ジュディ・ガーランドをクスリと仕事漬けにした毒母~」文=Keiichi Koyama(2020年1月29日公開)
「人生で選べたことなんてあったか?」
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