ひまの演出論 3

似ているものと嘘

山本ジャスティン伊等

ロサンゼルス・レイカーズというNBAチームのスター選手だったコービー・ブライアントの誕生日、UCLA付属病院で生まれた子供を祝福して、チームのロゴやコービーの背番号をあしらったおくるみに包まれた赤ん坊が、SNSで流れてきた。その赤ん坊が自分に似ていた。
自分もまた生まれた病院の、しかし被写体である子供と私は人種も違えば年齢も違う、その写真のなかに私にとってなにか親しく感じられる要素が写っているわけでもない、そのような現実的な隔たりを無視して、たしかに自分とこの子供は似ている、それも似たところがあるというものではなくて、過去も今も自分はこの子供のようである、と感じる時間がしばらくあった。
もちろんその感覚は長くは続かない、せいぜい一分かそこらだったと思うし、日常的なそれよりももっとあやふやで、半信半疑でもあるのだけど、同時にそのようなあやふやな感情自体は自分に対してたしかな存在感を持っている。視界の隅で、素早く動く黒いものを感じてゴキブリかとゾッとする、それが気のせいだったとしても、「気のせい」自体はたしかに存在した、というような。
そういうことがあったのは事実のはずなのに、こうして書くとネタというか嘘のように思えてくる。

私の家の三つか四つ先の建物は、一階が公文になっているマンションで、だからたとえば駅からの帰り道、大きな商店街を折れて横断歩道を渡ったところで、私の数メートル先を小学生が歩いていることがよくある。長い一本道だから、そうなると数十メートルはなんとなく一緒に歩くような感じになるのだけど、子供がチラチラ、こちらを振り返って見てくる。変質者なんじゃないかと警戒しているんだろう、しっかりした子供だと思いつつ、ただ家の前を歩いているだけで警戒される見た目や年齢になったことには、なんというか、ちょっと来るものがある。
赤ん坊の例のように奇妙な感情になったわけではないけど、私の方をチラチラ、あからさまに警戒してくる小学生を見るたびに、自分もそうだったと、こちらは明確に懐かしく感じるのだった。
私が小学一、二年生の頃は大人がよく通学路で性器を出して歩いていた。学校では不審者とカラスには注意するようにプリントが配られていた。私自身もジーパンからぼろっと出している人と会ったことがある。となりのクラスの、足の速い双子の女子もそれを見た。右に曲がると世田谷線の線路に沿って長い坂が現れる、その手前の狭い道、そこを曲がると2分ほど早道だと言われている角から、男は歩いてきた。私は何か話しかけられはしたけれど、言葉を聞く前に走ったのを覚えている。
いつもは同じ母子寮に住んでいるユウキとか、全然共通点がないけど仲良くなったり全然喋らない時期もあったりしたマっちゃんとかと帰っていたのに、その日はそうではなくて一人だった。私は今は別の名前に変わった豪徳寺のトップスというスーパーの二階で買ってもらった黄色いTシャツを着ていた。四時を過ぎたところで、まだ九月だから暗いということはないけれど、日が沈む気配はすでにしていた。夕方に一人で帰るときにはたいていドラえもんかORANGE RANGEを歌っていた。
私は家に帰ってから母にこのことを話したはずだし、だからこのことは私だけでなくて何人かが知っているはずなのだが、その全体が私が母についた嘘だったんじゃないかという気持ちの方が今は大きい。変質者に出くわしたことを覚えている、現実として確実にあったという感触が、むしろあやしい。私は今でもそうだが他人に嘘をつくことにためらいがない。しかしその嘘が現実と区別がつかなくなるなどとは考えもしなかった。

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◾️プロフィール
山本ジャスティン伊等
カリフォルニア州サンタモニカ生まれ。
Dr. Holiday Laboratory主宰。演劇/テキスト制作。
主な作品に『うららかとルポルタージュ』、『脱獄計画(仮)』など。

web https://drholidaylab.com
制作日記 https://justin-holiday.fanbox.cc/
Twitter https://twitter.com/ira_they