ホームフル・ドリフティング 10

#10 江東区のセブンイレブン
 家で仕事ができない。なら家で仕事をしなければいいだけの話なのだが、学習能力がないのでつい仕事を家にもちかえる。仕事は進まず、いたたまれない気持ちで朝を迎える。
 なぜ仕事に手をつけられないのか、理由は概ねわかっている。どう頑張っても気が緩んでしまうのである。絶対に仕事をするぞと気を引き締めていても、ドアを開けて靴を脱ぎ、リビングに入ってバッグを床に下ろすころにはユルユルのズルズルだ。
 虚しい挑戦を繰り返す日々が続く。ところがある日、ふと気づく。家に帰る前から気が緩みだしているのではないか、と。しかも緩み始める場所は大抵決まっていて、どうやら家の近所のセブンイレブンでユルユルし始めているらしい。
 終電もなくなったころに自転車で家の近くまで帰り、自転車を停めて家に向かって歩く。その道中に、セブンイレブンはある。店に入り、左に曲がって雑誌コーナーを確認する。いつだって雑誌の品揃えは悪いけど、何か買いたくなって読みもしないファッション誌を買ったりする。雑誌コーナーには鏡で覆われた大きな柱が立っていて、自転車から下りたばかりで汗まみれになった自分の姿が映っている。
 家に帰るときはいつもこのセブンイレブンを訪れる。時間は深夜。店員も大体同じ。例外はほとんどない。腰まではあろうかという長髪を後ろで束ねた痩せ型の男性がいつもレジに立っている。「いらっしゃいませー」。またあの人だなと思う。
 別にその人を見ると落ち着くわけではない。むしろ毎日会いすぎて勝手に気まずい気持ちになることさえある。ただ、どうやらこのセブンイレブンに入ったあたりでぼくの気持ちは緩み始めているらしいのだ。
 もはやセブンイレブンに帰宅しているといってもいい。「ただいま」こそ言わないが、心はセブンイレブンにそう告げている。変わり映えのない品揃えはいつしか見慣れた風景となり、どこか家の中みたいですらある。自宅の冷凍庫から取り出しているかのような仕草で、アイスコーナーからセブンプレミアムの白くまアイスを取り出す。
 一度緩み始めた気持ちが締まることはない。セブンイレブンの入り口は玄関で、自宅までの道のりは廊下みたいなものだ。長い長い廊下を歩いて自分の部屋へと向かう。そりゃ気も緩むだろう。
 翌朝、出かける支度をして家を出る。家の出口は自宅のドアであって、セブンイレブンではない。昨晩歩いた廊下はいつの間にか消えてなくなっていた。干潮のときにだけ浮かび上がる橋のような、深夜だけ浮かび上がる廊下がぼくの部屋とセブンイレブンを結んでいるのだ。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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