ホームフル・ドリフティング 11

#11 代々木上原のシェアオフィス
 働く場所が日に日に増えてきた。仕事がたくさんあるということではない。大して必要でもないのに、お金を払って色々な場所を借りているのだ。お金の無駄だと言われれば頷くほかない。
 つい先日も代々木上原にあるシェアオフィスのような施設に入居し、小さな共用スペースを手に入れた。シェアオフィスを使うのは初めてのことで、友達の家と自分の家の間くらいのよそ者感が心地いい。
 こうして色々なところに自分の居場所をつくった結果、色々なところで時間を過ごし、寝泊まりするようになった。オフィスに着替えを置いておき、コインランドリーで洗濯もする。自分が住んでいた家に帰る回数はさらに減ってゆく。オフィスの役割が曖昧になっていき、オフィスとオフィスの間を回遊するようにして暮らす生活が始まった。だからいま自分が働いているいくつかの場所を「オフィス」と呼ぶのは少し変な気もしている。
 これまでも家に帰らないことはたくさんあったが、それは何というか「潜水」みたいなものだった。大きく息を吸い込んで、「家」を出て海に潜る。二日間ほど息を止めたまま過ごし、息継ぎをするようにして帰宅する。コンディションを整えてまた海に潜る。
 ただ、いまは違う。「家」に帰らなくても平気で暮らせるようになりつつあるからだ。息継ぎをする必要はない。ずっと潜ったまま、海の中を泳いでいられる。「エラ呼吸」を体得したのかもしれない。それは進化のように思えたが、どこか退化しているようにも思えた。エイミー・ベンダー「思い出す人」になぞらえるなら、「逆進化」と呼ぶのがいいだろうか。
 夜。神保町のオフィスを出て代々木上原に向かい、駅からほど近い場所にある銭湯に入る。銭湯を出てポカリを飲みながら住宅街をぷらぷらと歩いてシェアオフィスに向かう。真っ暗な住宅街にはほとんど人がいなくて、本当に海の底を歩いているような気分になってくる。海の底を歩いたことはないけれど。
 あるいは、代々木上原を出て新宿を経由し巣鴨に向かい、数年前までよく通っていた銭湯に入る。銭湯から出て自転車に乗って、薄暗い住宅街をかき分けながら神保町へと下りてゆく。それは帰宅に似ていたが帰宅ではなく、帰社というにしては帰宅に似すぎていた。
 息継ぎをしながら街の中に潜っていたころは強い浮力みたいなものがあって、常に水上へと引っ張られているような感覚があった。命綱みたいなものがくくりつけられている感覚と言い換えてもいい。向こう側で、誰かがこの体を引っ張っている。それに抗うようにして泳ぎ続けることもあれば、そのまま引っ張られてしまうこともあった。
「家」には引力があるということだ。「帰る」とは、その引力に身を任せる振る舞いでもある。だけど、あちこちに「家」があったら引力は分散してしまうだろう。引力に身を任せてもどこかひとつの場所に引き寄せられることはなく、街の中を所在なく漂うしかない。いまは溺れる心配がなくなった代わりに、命綱もなくなった。それこそが漂流(ドリフティング)なのだ、と二五時に白山通りを自転車で駆け抜けながらふと思う。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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