ホームフル・ドリフティング 14

#14 東京無線のタクシー
 
 小さいころはキャンピングカーが一番かっこいいと思っていた。土地に縛られず自由に移動できる家にあこがれていたのかもしれない。別に自分の家が嫌いだったわけではないし、どこかに行きたいわけでもなかったのだけれど。
 ホームフルについて考えるようになって、むしろキャンピングカーに対するあこがれはなくなった。自由に移動できる家というのは家が自由に移動できないことが前提とされているのであって、「家」が世界中に散らばっているホームフルにそんな前提は通用しないからだ。
 キャンピングカーへのあこがれを失ったぼくは、結局免許さえとらぬまま大人になってしまった。無免許のぼくにとって自動車とは運転するものではなく乗るものであって、それはほとんどタクシーに乗ることを意味している。
 深夜に仕事を終えて、オフィスでそのまま寝てもいいのだけれど、着替えが足りなくなったので帰ることにする。いつもなら自転車で帰るが、荷物が多いからタクシーで。靖国通りは深夜でもタクシーがたくさん走っていて、ほどなくして空車を捕まえる。ドアが開く。滑り込む。行き先を伝える。コースは指定なし。タクシーが東に向かって走り出す。
 タクシーに乗ると、大体眠くなる。それまで目が冴えていたとしても。外の景色を見ているうちに眠くなって、自宅の近くに着くころには半分くらい夢のなかだ。だからタクシーがどんな道を走ったかはいつも不鮮明で、ぼくはただタクシーに収容されて運ばれていくだけ。
 とはいえ、いつもの調子でタクシーがベッドに変わるのだとかいえるかといえば、そういうわけでもない。タクシー(というか自動車)はどちらかというとマンションの通路みたいな感じで、半分家でありながら半分家の外にいるような感覚を生み出している。自律走行車が実用化し普及すれば、ますますその感覚は強まるだろう。朝起きて家から出て自律走行車に乗り、朝ごはんを食べたりコーヒーを飲んだりしながら職場に移動する。果たして、どのタイミングで家と家の外が切り替わるのだろうか(もちろん、家を出た瞬間に切り替わるといえばそうなのだけれど)。そういう意味では、タクシーに乗るのも言ってしまえば自律走行車に乗っているようなものなのかもしれない。
 だからなのか、免許をもたないぼくにとって自動車を運転することはすごく不思議な行為としてある。自動車に包まれて運ばれているようでありながら、それを動かしているのは自分にほかならない。ぼくにとっては自律走行車なんかより普通の自動車の方がよっぽど不思議な存在だ。その自動車が自家用車ならより一層その不思議は強まる。完全なるプライベートな空間でありながらどこかパブリックであり、職場の延長ともいえるし家の延長ともいえる。自動車を運転しなければ、家についてきちんと理解できないような気もしてくる。『ホームフル・ドリフティング』免許合宿篇を始めなければいけないのだろうか。なかなか大掛かりな連載である。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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