ホームフル・ドリフティング 15

#15 あちこちの床
 
 床でよく寝ている。そういう健康法を実践しているわけではない。単に床で寝ることが人より好きなだけだ(そちらのほうがよほど奇妙かもしれないが)。
 金曜の夜は友人のYさんの部屋にお邪魔してフローリングの床で横になり、土曜の夜は自宅のリビングに敷いてあるフカフカのラグの上で横になり、日曜の夜はオフィスのタイルカーペットの上で横になった。こう振り返ってみると想像以上に床で寝ていて自分でも不安になってくる。
 床で寝ていると、自分が「家」を感じている範囲が手に取るようにわかるのがいい。例えば、自宅の床で横になるときは(当たり前だが)その空間すべてが自分の家だと感じられるが、友人の家で横になるとそういうわけにはいかない。自分の体から一〇センチも離れたらもう他人のスペース、他人の家になってしまう。
 友人の家で横になり、枕の代わりにバッグを頭の下に置く。頭の載せ心地がよくなるように、ジャケットかなんかをくるんでおくといい。横になってiPhoneをいじりながら、友人と話す。徐々に口数が少なくなっていって、いつの間にか眠りについている。体が弛緩してリラックスしてゆくにつれ、自分の体がじわじわと周りに広がっていくような気がしてくる。体が広がっていく感覚がうまく捉えられなくなるから、毛布や掛け布団はないほうがいい。ただ床で横になることでこそ、自分の体と家の関係性を正確に捉えられる。
 それはサウナと水風呂を熱心に愛する人々が語る「温度の羽衣」みたいなものだ。サウナから出て水風呂に入ると冷たい水と熱い体の間にうっすらとした層ができあがり水風呂の冷たさが和らいでくるという、あの現象のようなもの。この場合は、「ホームの羽衣」とでも呼べばいいだろうか。
 毛布や掛け布団はホームの羽衣を簡単に拡張する手段のひとつだ。ベッドに入ろうものなら、一瞬で羽衣はベッド大の直方体まで広がっていく。だけど、自分にとってそれは手っ取り早すぎて少しさびしい。自分の体と他人の家が接着し、その接着面からじわじわと自分の体=ホームが広がっていく感覚を味わうならやはり床で寝なければなるまい。
 そう考えてみると、どこでもすぐ眠れる人というのは、どんな状況でもホームの羽衣を身にまとえる人なのかもしれない。他人の家でも、クルマの中でも、駅のベンチでも。どこにいてもすぐに体の周りをホームにしてしまえる人。そういうものにわたしはなりたい。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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