ホームフル・ドリフティング 23

♯23 他人の家の匂い
 
 
「他人の家の匂い」みたいなのがあって、なかなか嫌いじゃない。それはルームフレグランスの匂いでもないし、香水でもないし、料理の匂いでもない。他人の家の匂いとしかいえない、色々なものが混ざった匂いだ。
 言うまでもなくその匂いは家ごとに異なっているはずなのだけれど、でもどこか似ている。というか単に続けざまに色々な人の家に行くことがないので比較できないから似てると思ってるだけかもしれない。でもやっぱりそれは雑貨屋や事務所の匂いとは似ていないし、結果的に「他人の家の匂い」として自分のなかに蓄積されている。
 匂いはもちろん「ホーム」とも関係している。誰しも自分の家の匂いに親しんでいるからこそ他人の家に行くとその匂いに違和感を覚えるのだろうし、自分の家の匂いが変わったら落ち着かなくなる人も少なくないだろう。リビング、トイレ、ベッドルームに別々のディフューザーを置いて異なる匂いの空間をつくる人がいることからも、匂いと空間の感覚がそれなりに結びついていることがわかる。
 こうした重要性にもかかわらず、家の匂いは「匂い」それ自体としては概してそこまで強くない。だから容易に変化してしまう。家にたくさんの人が遊びに来たとき、あるいは友人が数日間泊まったとき、あるいはルームシェアをしているとき。家の匂いは日ごとに変わっていき、自分のホームがゆらゆら揺れているのがわかる。
 なかでも一番刺激的なのは、一週間くらい友人が家に泊まりにくるときの変化だ。ぼくは家にいる時間が短いので、帰ってくるたびに自分の家の匂いが他人によって書き換えられていくのがわかる。最初の数日は拮抗しているが、次第にぼくの匂いは負け、一週間もすると他人の匂いになっている。この変化を最もありありと感じられるのはもちろん玄関のドアを開けた瞬間だ。ドアを開けると家の匂いが流れてきて、他人の匂いをかき分けながら廊下を歩いていく。その時点では他人の匂いだと思っていたものも、その状態がしばらく続けばいつの間にか自分の匂いとすり替わってしまっていることだろう。匂いとホームは揺らいでいて、不安定だ。
 匂いは単に家のような建築物の中だけにあるものではなく、自分の中にもあるものなのだろう。だからなのか、ホームフルなどといって一週間くらいあちこちで過ごしてから家に帰ると、ほんの少しだけ自分の家の匂いが自分から離れていっているのを感じる。匂いとホームの感覚は関係性のなかにあるものであって、この匂いだからホームだといえるようなものではないのだ。
 あちこちを転々としながら暮らし続けると、ホームを感じられる匂いをもつ場所はなくなっていくのだろうか。ならば、香水とはうっすらとしたホームの膜を自分の周りにまとうことでもあるのかもしれない。「ホーム」の匂いがする香水はこの世に存在するのだろうか。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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