行けたら行きます 3
植本一子
石田さんのお見舞いに行くと、ベッドのテーブルの上に紙の束が。原稿を打ち込んだだけのものをいち早く編集さんが持ってきてくれたという。これから自分で読み返し、直しを入れたりするらしい。今週の頭に抗がん剤治療が終わり、入院も三週目だが随分調子が良さそう。副作用なのか、力が入らない、とアンパンマンのようなことを言うが、それでも病院にいる方が体調は安定するし快適だろう。来週退院することになっているが、調子のいいうちに原稿の直しもしなければいけない。
恐る恐るその原稿の束を手に取り、内心ドキドキしながらめくっていく。200ページあるので今じっくり読むことはできないが、私、つまり「妻」「一子」と表記がある場所を探す。自分がどう書かれているか、それが問題だ。石田さんに私のこれまでのことをどう思われているのか、それを原稿を通して知る。それは石田さん自身も同じだろう。今年の初め頃、現代ビジネスというサイトにエッセイが載った。その時に書いたのは「結婚しながらも他に好きな人がいた」というものだった。石田さんに好きな人がいると伝えたのは一度きりで、それ以降に好きになった人のことを私は伝えていない。薄々勘付いてはいるのだろうと思っていたのだが、面と向かって伝えるような相手は現れなかった。それについて石田さんはどう思っているのか。もしかしたら原稿に書いてあるかもしれない。私はページをめくる手を急いだ。そしてまさにそれについての記述を見つけたのだ。
ーーそれを知った僕は全く驚くことはなかった。「あー、やっぱり」と思っただけだ。
この一文を見た時に、内心ずっこけた。気が抜けるようだった。もちろんこの前後の文章もあるが、石田さんはやっぱり石田さんだと思ったのだった。
原稿にざっと目を通し、これは面白そうだね、と伝えた。ちゃんと通しで読むのが楽しみだ。気をよくした私は、ひとつ、一か八かで言ってみることにした。
「あのさ、一年くらい前からいいなって思ってる人がいるんだけどさ」
「ほう」
「顔がタイプで。その人の写真を友達に見せたら、石田さんと同じ系統だねって言われて。それがすごい嫌」
そう言って、携帯でその人の画像を探し、石田さんに画面を見せる。えー、似てない、と即答。
「最近、落合博満に似てるって言われるんだよ。ほんと、画像によってはすごい似てる」
すぐに検索すると、確かに似ていて笑ってしまった。悔しくなった私は、さっきの人の画像を何枚か見せると、角度によって、あー、これはちょっとわかるかな、と石田さんも言う写真があった。とはいえ石田さんに似ていると私は思わないが、あいつには少し似てる気がする、と随分昔の、石田さんも会ったことのある彼の名前を出すと、それはそうね、と同意する。目のくぼみがね。
「好きなタイプってあるんだよね」
怖がることなんかなく、こんなやりとりを、今までもっとしてくればよかった。
◇◇◇◇◇
《著者プロフィール》
植本一子(うえもといちこ)
1984年広島県生まれ。
2003年にキヤノン写真新世紀で荒木経惟氏より優秀賞を受賞、写真家としてのキャリアをスタートさせる。広告、雑誌、CDジャケット、PV等幅広く活躍中。
著書に『働けECD―わたしの育児混沌記』(ミュージック・マガジン)、『かなわない』(タバブックス)、『家族最後の日』(太田出版)がある。
『文藝』(河出書房新社)にて「24時間365日」を連載中。
http://ichikouemoto.com/