生きる隙間 8

 去年、まだ渋谷に住んでいた時、近所のコンビニの店員に加藤さんという男性がいた。背が高く清潔感があり、明るく愛想の良い人だった。そんな彼が、休憩時間にコンビニの外の死角で一点をぼーっと見つめ電子タバコを吸う姿を何度か目撃した。生気のない彼の姿をこっそり眺めるのは、彼の裏面を垣間見るような気まずい気持ちになった。
 事あるごとにそのコンビニに通っていたので、店頭に立つ彼をよく観察していた。彼は、機敏によく働く。お店の入り口に貼ってある大きな手描きおにぎりのポップの黒塗り部分も、きっと彼が時間をかけて塗り潰したはず。常連の子供たちは優しい彼に群がる。子供たちは加藤さーんと彼の腕を引っ張る。加藤さんは大きな手で子供たちを抱きあげる。きっとこの光景は、のほほんとした幸せな瞬間なのかもしれないけど、違和感が残る私の幼少期の思い出を鮮明に蘇らせた。
 小学1、2年の頃、私が友人たちと外で遊んでいたら、知らないおじさんに声をかけられた。おじさんは優しい口調で、自分は中学校教師で今はちょっと理由があって旅館に長く泊まっていると教えてくれた。おじさんはとても穏やかで優しかった。その日から、私の家の前の旅館で長期滞在しているそのおじさんと一緒に遊ぶようになった。鬼ごっこに付き合ってくれたり、旅館にある卓球場にみんなを招いて遊んでくれるおじさんのことが私たちは大好きになった。でも、ある日から様子が変わっていった。おじさんが、今日から恵ちゃんは来なくていいよ、その数日後には、今日からまゆみちゃんは来なくていいよ、と、私たちに赤札を貼るようになったのだ。私も、明日から来なくていいよ、と言われた。悲しかったけど、大人には大人なりの理由があるんだろうなぁ、大人はそういう遊び方をするのかもしれないしと思い、何も疑問には思わなかった。
 その数日後に母が、旅館に泊まっているおじさんと最近一緒に遊んでいるの? と聞いてきた。その時にはもう、おじさんと遊べるのは、物静かな性格ののり子ちゃん一人になっていた。うん、でも最近、おじさんはのりこちゃんとしか遊んでない。と伝えたら、母は慌てて誰かと連絡を取っていた。その様子を見て、私たちには理解できないことが水面下で蠢いてるのをなんとなく感じとった。
 その後、旅館からおじさんはいなくなった。おじさんと遊ぶという私たちのブームもあっという間に過ぎ去ったので、のり子ちゃんにおじさんと何をして遊んでいたのか聞いたりもしなかった。実際には、慌てた母の姿を見た私の中に芽生えた違和感から目を背けていた節もあったのかもしれない。今思い返せば、私たちが慕っていた優しいおじさんは、きっと世に言う不審者、だったのであろう。
 どんよりと暗い顔で電子タバコを吸っていたコンビニの加藤さんが、はしゃぎまわる子どもたちに囲まれているのを見て、あのおじさんを思い出してしまった。加藤さんは何も悪くない。きっといい人で子供好きなのは間違いない。ただなぜか、子供たちが無邪気に戯れる幸せそうな光景を目の当たりにして、大人になり不明瞭だった事柄がクリアになり、無防備な思い出がダークな事実に変わる瞬間に直面するような居心地の悪さを感じた。倫理観も芽生えぬ幼かった私たちは、無垢であるが故に危なっかしいところを気づかずに歩いていた。無邪気の背面に潜んでいた危険信号が明確に汲み取れるようになった今、おぼつかない思い出をぼんやりと思い返し、物事の裏側、というのを今更注意深くつまみ取っている。
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〈著者プロフィール〉
小嶋まり
渋谷区から山陰地方へ移住。写真、執筆、翻訳など。
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