#06「瞼(後編)」
【1】
野太いがそれは確かに女の声であった
驚きと共に見返せば
仔象の背には
その倍ほどもある恰幅の女が
騎馬武者の如く跨っていたのだ
「ひとつ前へ」
女が横柄に鋭く叫ぶと
仔象は一瞬身震いし
すぐによろりと一歩進んだが
女による物理的重圧で
その幼い膝は痛々しく軋み
過度な忍耐を強いられているのは明らかだった
〝ああよかった〟
私は安堵した
〝象が喋るはずがない〟
【2】
上半顔を覆う乳白色のゴーグルを着用した女は
目元こそ見えないが
整った口角を頂く分厚い口唇に微笑をたたえていた
鍛え上げられたその逞しき両上腕二頭筋の間に
みずみずしく突き出す茹でたての腸詰の如き乳房を
挟み潰すかの様に力強く抱えながら
握り込んだ手綱と
その巨大な臀部を介した邪悪な加重によって
仔象の全てを支配していた(mauvais)
「かわいそうに」
女は流血した仔象に全体重を預けたまま私を指差した
「憎め」
すぐに仔象がひどく恨めしそうに私を見た
その黒々としたつぶらな瞳に激しい憎悪が宿り
私に向けて全開で放たれていた
それはこの事故において全く落ち度が無く
明らかに害を被った側である筈の私の心情を
加害者であるかの様に貶めた
【3】
「お前みたいな呼吸する生ゴミは一刻も早く処理場へ行けよこの腐れ外道」
微笑んだまま女が言った
その直後
周囲に続く路の暗がりや塀の向こう側から
姿かたちが見えない数多くの何者かによる
嘲るような爆笑と
低音のべたついた拍手が湧き上がり
汚ならしい大都会のビル風の如く
私の全身を不快に撫で上げ
精神を更に穢した
そのまま渦を巻くように音量を増しながら
まるで巨大生物の鼓動のように周囲を揺らした後
闇に吸い上げられるように消えてしまった
【4】
数秒の沈黙の後
突如
女のゴーグルから高粘度で真っ白な液体が
鼻血の様にぼたぼたと滴り
血塗れの仔象の頭上に溢れた
仔象の赤黒い血漿に濃厚なピンク色のマーブル模様が拡がり
潰したての苺ミルクみたいだった
私はそれを見てすっかり
自分が本当に
〝呼吸する生ゴミ且つ腐れ外道である〟といった女の暴言を
もうほとんど受け入れてしまったのだった
【5】
次の瞬間
仔象が前足を上げて嘶(いなな)き
女は激しく仔象の背から転げ落ちて仰向けに転倒した
激しく興奮した仔象は手綱を付けたままで
天国どころか暗闇へ走り去ってしまった
路地には女と私の二人だけが残され
なんとも言えぬ沈黙が訪れ
本来なら極めて静かな夜だったという事に
私はその時気が付いた
【6】
やがて女は起き上がり
赤黒い血が滴る分厚い口唇に変わらぬ微笑みをたたえ
動けぬ仰向けの私に近づいた
いつの間にかトモシビダケの如く
緑色に発光した箸を左手に持ち
私自身で例えるなら
好物の鯖の文化干し定食へ向けるような眼差しで私を見つめ
舌舐めずりしつつそれを構えた
箸の持ち方は完璧(parfait)だった
【7】
女の箸の先端はシラサギのくちばしの様にうごめき
明らかに私の眼球を狙っていた
それは
私の顔面を鯖の文化干しと見れば眼球は脊椎に相当し
個人差はあれどほとんどの人が最初に行うであろう脊椎の除去と同じく
まず私の眼球から除去するつもりなのだと思わせた
女はおもむろに近づくと
立ったままで私にまたがり
やはりおもむろに呟いた
〝目玉焼作るか〟
不意に箸の緑光が落下して鋭く眼前へ迫り
反射で閉じた瞼を突き抜けて捩じ込まれた感覚の後
私の視界は遂に暗闇へ落ちた
【8】
痛みは無かった
視界は完全に消失し
何故か声も出なくなった
身体も動かなかった
閉じ込められたような
有限を感じるその暗闇の中で
私はただただ沈黙した
そのまま時を過ごすしか為す術が無かった
【9】
それから例えようの無い程の永い時間が過ぎた
しかし何故だか恐ろしくも悲しくもなく
苦痛もなかった
更には
不思議な心地良さを感じる様にさえなっていた
私は暗黒の中で横たわったまま
ふと
〝ああこれが天国なのだな〟
何となくそう思った
(終)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
◾️イルリヒト
ひつまぶしをこよなく愛する自称音楽家
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