老いを追う 18 〜年寄りの歴史〜

第六章 いじわるばあさんの孤独 3
 漫画『いじわるばさん』のある回で、次男のシゲルの妻が、日本人の平均寿命が男性六八歳、女性七三歳に延びたという新聞記事を見つけて、「あーたー、たいへん!」と夫を呼ぶシーンがある。
 「またとしよりのじゅ命がのびたんですってヨ」「おれも読んだ、もんだいだぞ」という息子夫婦の会話を耳にして、さすがのいじわるばあさんもしょんぼりとする。息子たちのほうもおばあさんのいじわるに、まだまだ悩まされなければならないのかとがっかりしているのだろう。
 すでに書いたように、『いじわるばさん』は一九六六年(昭和四十一年)から一九七一年(昭和四十六年)まで週刊誌に連載された。第五章「隠居はかなえられたか」でふれたことだが、戦後の日本では三十年のあいだに、男女とも十五歳も長生きになった。こうした長寿化が起こったのは、日本の経済が高度成長した時期であり、『いじわるばあさん』が連載されていた時期でもある。
 家族である年寄りを疎ましがり、老人もいじわるでしか人と交じわることができない。『いじわるばさん』に描かれているこうした関係性は、現在の高齢化社会の問題を先取りしていたのである。
 
 長男の順一がテレビでコントを見て大笑いしていると、「ああ、コント定年か」とおばあさんが冷やかし気味につぶやくシーンがある。「おまえさんも55だったネ、来年は……」とおばあさんが続けると、順一はうなだれる。テレビに映っていたのはもちろん、萩本欽一と坂上二郎の「コント55号」にほかならない。
 この当時、日本の企業の定年退職年齢は五五歳で、順一は定年間近の五四歳だった。順一は目前に迫った定年とともに、会社を退職した後も、母親の面倒を見るはめになりそうなことにしょげているのである。一方で順一の妻のミチコは、モンブラン万年筆の試し書きに、「母儀病気療養中のところ本日永眠いたしました ここに生前のご厚誼を深謝し」と願望をしたためる。
 会社で部長の順一はちょび髭で刈り上げ頭だが生気があり、ミチコも闊達で若々しい。じつをいうと、髪の毛一本だけの頭頂部を気にかける『サザエさん』の磯野波平も、原作では五四歳という設定になっている。波平の妻のフネも、割烹着で落ち着いた物腰をしているが原作での年齢設定は四八歳、テレビアニメでは五二歳だが「五十ゥン歳」とぼやかされている。
 波平とフネは結婚して二八年、一男二女の親であり、孫も一人いる。波平はサラリーマンで、フネは専業主婦だが、老成した外見はお祖父さんお祖母さんであるせいだろうか。
 波平とフネの両親は原作にもアニメにも登場しない。サザエさんはカツオと喧嘩しても、祖父母の面倒を見る必要はないのだ。『サザエさん』では登場人物は年齢を重ねないけれど、温厚だが勝気でもあるフネが何年後かに「いじわる」なおばあさんになるという、意地の悪い想像をしてみたくもなる。
 『いじわるばあさん』の伊地割石は、長谷川町子が少女時代を過ごした福岡市西新(にしじん)にあった炭販売店のおばあさんがモデルだという説がある。
 店先の商品に子どもがいたずらすると、「このガキども!」と叫んで威勢よく追いかける。子どもたちも「鬼子ババ!」と応じながら、練炭の穴に砂を詰めるといういたずらを繰り返したという。しかし石には、町子ら三人姉妹の母である貞子の姿も投影されているのではないだろうか。
 夫を早くに亡くした貞子は、『サザエさん』を自力で出版し、姉妹を育てた。また独断専行の性格から、娘たちに「ヒトラー」「ワンマン」と仇名された。熱心なクリスチャンで、喜捨を惜しまなかった貞子は、石とは性格も行動もかなりちがう。だが、『いじわるばさん』連載当時、七十代に差し掛かった貞子の姿に四十代後半の町子は、身近な女性の切実な変化をみていたことだろう。
 貞子は八十歳を過ぎると認知症になり、町子を娘だと見分けられず、赤の他人のように接することもあったという。こうした深刻な状況は、残念ながら『いじわるばあさん』に描かれることはなかった。
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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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