老いを追う 17 〜年寄りの歴史〜

第六章 いじわるばあさんの孤独 2
 いじわるをコミュニケーション手段にかろうじて社会とつながるいじわるばあさんは、二十年あまり連れ添った亭主と死別している。
 夫だった人物は戦争に従軍し、復員後まもなくに死んでしまったらしい。だからおばあさんは亭主の恩給を重要な収入源にしている。
 おばあさんによると、亭主は大酒飲みで、博打好きで、芸者遊びをする、いわゆる「のむ、打つ、買う」が全部そろった男だった。そのため妻の身としては、大変な苦労を強いられたと述懐する。しかし、いじわるばあさんはもともと意地の悪い鬼嫁だったという証言もある。
 いじわるばあさんはいまでも、亭主への恨みが晴れてない。
 お彼岸には、フルーツやケーキなど、亭主が嫌いだった食べ物を仏壇に供えて、長男夫婦をあきれさせる。
 別のお彼岸には、亭主の墓石が隣に立つ女性の墓石に「ヨロメキ」、傾いていたので、花とお線香を「おボンまでおあずけだ!」と持ち帰ってしまう。
 そうかと思うとお墓参りの際、品のよさそうな老人が墓掃除をしているのを見かけて、おはぎを一緒に食べようと誘ったりする。こうした行動もその老人にたいする親しみから出たものではなく、亭主への復讐の感情にもとづくものらしい。
 「いたこ」のような霊媒師のところに出向いて、旦那さんの霊を呼び出してもらったことがある。そこでは、亭主の霊が「ワシじゃヨなんゾ用か?」と降りてきたところで、「用もクソもあるかッ」と霊媒師に襲いかかる。納戸から出てきた古い日記帳のなかに、亭主の浮気の証拠を発見したのがその理由だった。
 おばあさんはお盆に、亭主が外では芸者遊びにうつつをぬかし、家ではちゃぶ台をひっくり返していたことを、長男夫婦の前で蒸し返す。その頃地獄では、亭主が閻魔さまに「おまえだけはぼんにシャバへかえらんのウ」と言われながら、将棋を指している。
 いじわるばあさんは、死生観、宗教観も独特である。
 百貨店の女性清掃員に、「温かいものでもたべてくださいな」と心づけを渡し、「善根をほどこした! 天に宝を積んだ!」と歌い歩く。しかし天国では、心づけの中身が五〇〇円にすぎなかったことから、「来たら五〇〇円支払って追いかえせ、それっぱかりで恩に着せられちゃたまらん」と神様は天使に指図する。
 交通事故に遭ったいじわるばあさんが、地獄に行ったことがある。そこでは、鬼の罪人にたいする懲らしめかたが手ぬるいとけしかけるので、閻魔さまも持てあまし、地獄から追い返されて蘇生する。たびたびの願掛けが成就しないことを逆恨みし、交通事故で死んだ人のかたわらに、神社の「お守り」を投げおいたこともあった。
 お坊さんとは彼岸の中日に一緒に麻雀をしたり、千円払って寺院の説明を賑やかにしてもらったり、いくぶん友好的かもしれない。また読経のうしろで「アーメン」と言ったり、仏壇に供えるお線香を自分の誕生日ケーキのろうそく代わりにすることもある。
 いじわるばあさんは「無神論者」を公言しているが、そのわりにはどこかで因果応報を信じているふしもある。少々破天荒には見えるものの、いじわるばあさんの宗教にかかわる行動や感情は、日本人の素朴な信心のありようを表わしているようにも思えるのだ。
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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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