老いを追う 27 〜年寄りの歴史〜
畑中章宏
第九章 「ポックリ往生」と「ボケ封じ」 3
できることならいつまでも「ボケ」たくない、「ボケ」ないでいて欲しいと思うのは、老いをめぐる最も切実な願いである。
「ポックリ往生」の庶民信仰でも、老耄に至る前に、あの世へ往くことが祈願された。こうした「ボケ封じ」を祈願するため、人々がお参りする寺院は、日本全国に数多く存在する。関東には「ぼけ封じ関東三十三観音霊場」というのがあり、近畿地方には「ぼけ封じ近畿十楽観音霊場」がある。
近畿十楽観音霊場の第一番札所は、西国三十三所観音霊場の第一五番札所でもある京都市東山区の「今熊野観音寺」で、「頭の観音様」と呼ばれている。頭痛に効くほか、認知症予防、智恵を授けるなど、頭にかかわるご利益があるからだという。それはこんな由緒に基づくものだ。
平安時代末期の後白河法皇は、激しい頭痛に悩まされていた。そこで今熊野観音寺の十一面観音に頭痛平癒の祈願を続けたところ、ある夜、法皇の枕元に観音様が現われ、法皇の頭に向けて光明を差しかけた。すると永年苦しんできた頭痛がたちまち癒えた。それ以来、法皇は今熊野観音を「頭の観音様」として天下に知らせ、信仰を益々篤くしたという。
今熊野の観音様はつねに枕元に立ち、夢に姿を現すとされる。
こうした霊験譚からかつては、参詣者は自分の枕を持参し、加持祈祷を受けていた。現在は、祈祷を施した枕宝布(枕カバー)を使うことで、頭痛やボケ封じ頭の病を癒すご利益が得られるのだという。
奈良では「安倍文殊院」と「おふさ観音」の二つの寺院が、「大和ぼけ封じ霊場」をうたっている。ここでは効能に手分けがあり、安倍文殊院が「頭」のボケ封じ、おふさ観音が「体」のボケ封じをかなえてくれる。「体」のボケとはシモがだらしなくなり、周りの世話になることである。
安倍文殊院は「日本三文殊」の一つで、大化改新の時に左大臣として登用された安倍倉梯麻呂の氏寺として建立された。本尊は鎌倉時代の快慶作、日本最大の獅子にまたがる文殊菩薩である。「三人寄れば文殊の知恵」と言う言葉があるように、知恵を授ける仏を祀っていることから合格祈願の参詣者が多く、また陰陽師の安倍晴明が陰陽道の修行をしたともいわれている。またここでは「ぼけ酒」を頒布している。
中国で生まれた陰陽道は薬食同源の思想を生み出し、中国では薬膳料理や、薬膳酒が古い時代より作られてきた。ぼけ酒も薬膳酒のひとつで、歴代の中国王朝の貴族は、健康維持のため愛飲したのだという。安倍文殊院では安倍晴明がここで生まれたという伝承から、晴明の一千回忌を記念して、特別栽培の「木瓜(ぼけ)の実」を採取し、醸造しているのだそうである。
こうした庶民信仰の隆盛はすべて『恍惚の人』がベストセラーになった、一九七二年以降のことである。ずっと大阪に住んできた私の両親も、当時は四十歳前後だったが、関西にある「ポックリ往生」「ボケ封じ」の寺院にお参りしていたようである。両親が特別だったわけではなく、「ポックリ寺」への参詣は、季節の花の名所に行くようにふつうのことだった。
そう言えば母親は、シモの世話にならないようにと、素朴なまじないもしていた。
六月の六のつく日、六日、十六日、二十六日に、紫陽花の一枝を半紙で包み、水引で結んでトイレの隅に吊るしておく。 するととくに女性が、「寝たきりにならず健康でいられる」「一生、自力でトイレにいける」というおまじないである。こうした風習がいまでも伝えられているのかは、民俗学的にも大変興味を惹くところである。
人のことを気にしている場合ではない。最近は物忘れがひどく、シモがゆるんできたような気もする私自身が、枕カバーを授かりにいったり、ぼけ酒を飲んだり、紫陽花を吊るしてみようかと思うのだった。
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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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