老いを追う 43 〜年寄りの歴史〜
畑中章宏
第十五章 臨終の風景 1
柳田国男の『遠野物語』の冒頭近くには、この本に収録した百十九の民話を、主題や動機によって分類した「題目」が掲げられている。そのなかに、遠野の人びとの臨終のようすをあらわす「魂の行方」がある。一覧では、「二二、八六―八八、九五、九七、九九、一〇〇」とあり、百十九話のうち八つが、死に際にまつわる伝承ということになる。
この八つの話は、かつての民俗社会で人がどのように死を迎え、周囲のものが身近な人の死をみていたかをしめす重要な証言だといえる。
第二二話と第二三話は、柳田国男に遠野の民話を語り聞かせた、佐々木喜善の曽祖母さんが年老いて亡くなったときの話である。
その夜、曽祖母さんを棺に納め、集まった親族は座敷に寝ていた。そこには曽祖母さんの娘で、物狂いのために離縁された婦人もいた。お祖母さんとお母さんは囲炉裡の両側にすわって、お母さんは炭を継いでいた。ふと裏口のほうから足音がするので見ると、亡くなったお曽祖母さんだった。
腰が曲がって引きずるため、衣の裾を三角形に縫いあげているのもそのままで、縞目模様にも見覚えがあった。囲炉裏の脇を通るとき炭取りに裾がさわると、丸い炭取りがくるくると回った。そして座敷のほうへ近よっていくと、物狂いの婦人が、「おばあさんが来た」とけたたましく叫んだ。みんな目を覚まし、ただ驚くばかりだった。
お曽祖母さんの二七日(ふたなぬか)の前夜にもこんなことがあった。
夜更けまで念仏を唱えた知人たちが去ろうとしたとき、門口の石に腰掛けた老女がいた。そのうしろ姿はまさしく、亡くなったお曽祖母さんだった。「いかなる執着のありしにや、ついに知る人はなかりしなり」。
棺に入っても、二七日を迎えようとしても、姿を現わす老女。「数多の人見たるゆえに誰も疑わず」(三三話)。死者をおくる人びとにとって、あまりにもリアルな体験として記憶されているのである。
八六話から八八話は、臨終にいる人が、別の場所に出かけて行った話である。
ある豆腐屋の父親が大病で死にそうになっていた。そのころ、男が住む村から川を隔てたところで家の普請があり、地ならしをしていた。夕方そこへ、その父親がやってきて、人々と挨拶を交わし、「自分も手伝う」と言ってしばらく仕事をして、暗くなるとみんなと帰っていった。人びとは、「あの人は大病のはずなのに」と不思議がったが、あとで聞くと、その日に亡くなり、ちょうどその時刻は、病人が息を引き取ろうとするころだったという(八六話)。
豪家の主人が大病をして臨終におよんだある日、その主人がふと菩提寺を訪れた。和尚が鄭重に茶をすすめ、世間話をした。主人が帰ろうとすると、ようすが不審だったので、小僧にあとをつけさせた。門を出て、町の角を曲がると主人の姿は見えなくなった。この老人に会ったものはほかにもいて、挨拶したようすもいつもどおりだったという。しかし、主人はこの夜に死んで、外出できるような容態ではなかった。主人が訪ねた寺では、畳の合わせ目にお茶がぜんぶこぼしてあった(八七話)。八八話もほぼ同様の話である。
死に際して、からだを離れて出かけてゆく人びとが、たしかにいた。工事を手伝ったり、お茶がこぼれていたのだから、事実であることは間違いないことだ。
九七話は、すんでのところで、臨終からもどってきた男の体験談である。
菊池松之丞という人が熱病を患って息を引き取りそうになったとき、菩提寺に急いで向かっていった。気持ちよく空中を飛び上がったり、下り降りたりしながらお寺の門に近づくと、人びとが集まっていた。
「なぜだろう」と思いながら門を入ると、紅い芥子の花が見渡すかぎりの満開だった。この花のあいだに亡くなった父が立ち、「お前もきたのか」と言った。なにか返事をしながらさらに行くと、今度は亡くなった息子がいて、「トッチャお前もきたか」と言った。「お前はここにいたのか」と言いながら近よろうとすると、「今きてはいけない」と言った。
そのとき門のあたりで、騒しくじぶんの名前を呼ぶものがあるので、いやいやながら引き返したところ正気にもどった。親族のものたちが集まり、水をかけたり呼びかけたりして、生かしたのだった。
これまでの四話は、死にのぞむ人に周りのものが会った話だったが、九七話は当事者の「臨死体験」というべきものである。
遠野の人びとはこうした話を「怪談」として語り伝えてきたのではない。年老いたものでも「生」に強く執着し、この世から容易には身を離そうとしないこと。またそんな出来事が、決して珍しくないことを、『遠野物語』の「魂の行方」は語っているのである。
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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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