老いを追う 44 〜年寄りの歴史〜

第十五章 臨終の風景 2
 かつての日本社会では、三日から一週間におよぶ「死」までの猶予期間が設けられ、民俗的には死はかなりの時間をかけて捉えられていた。
 まず、「鼻気」が絶え、体の色が変わり、四肢全身が冷えるといった状況が確認され、その後には、「招魂」や「魂呼」といった蘇生を願う儀礼がおこなわれた。そしてやがて、体が崩れて、腐臭を発する段階を死の最終確認としたのである。
 身体から遊離していると考えられている霊魂を呼び戻すための儀礼は近代においてもおこなわれていた。
 神奈川県藤野町や茅ヶ崎市では、人が死にかけるとお百度参りをしたり、屋根に登ってその人の名前を呼んだり、父親が井戸に向かって名前を呼んだ。また川崎市では竹筒に米を入れて死にかけている人の耳もとで振ったという。
 ではいったい、生と死の境界はどのように捉えてきたのか。
 看護学や家政学の本には「真死」と「仮死」の見分け方という項目がみられる。そのなかには、生き埋めを避ける知識として言い伝えられてきたものも含まれる。
 たとえば、臨終にある人の鼻の穴に綿毛をあて、綿毛が揺れるかどうかで絶息の確認をしたとする。室町時代の国語辞典『下学集』によると、臨終のことを「属紘」というのは、死に臨んだの人の鼻の穴に「紘」(新しい綿)を属(つ)けて、呼吸のあるなしを確かめることからきているという。
 いっぽう近代の看護学や家政学では、真死と仮死を見分けるには呼吸の停止、脈拍の停止、血流の停止、瞳孔・皮膚反応の消失、死相・死斑の出現、死後硬直を確認することとされていた。それぞれを確認する方法にかんしては、たとえば中川恭次郎の『一般救急法』(一九〇七年)という本には次のように説かれていた。
 呼吸の停止については、口や鼻の前においた鏡が曇るか否か、羽毛やロウソクの炎が揺れるか否かをみる。脈拍、血流の停止については、動脈・静脈を切開するか、指や腕を緊縛したときの反応をみる。瞳孔・皮膚反応の消失については、瞳孔に光をあてる、鼻のなかへ筆でニラ・ワサビ・カラシなどの刺激物を塗る、皮膚に焼火針をあてる、熱した蝋や熱湯を注ぐ。身体の各部に吸角を付ける、爪と肉のあいだに針などを刺すとある。つまり、まるで拷問のような手段で、真死と仮死を見極めようとしてきたのだ。
 在宅死が多かった明治・大正の時代でも、死に際を正視することに不安と恐れがあった。川端康成は数え年十六歳のとき、二人暮らしをしていた祖父・三八郎を看取ることになる。
「祖父は息を引き取る前に痰が気管につまって胸を掻きむしるようにして苦しんだ。仏様のやうな方だのに往生際にどうしてこうお苦しみになるのかと、枕辺にいた一人の老婆が言った。その苦しみを正視していられないので私は一時間足らず別室に逃げていた」(川端康成『葬式の名人』)。
 現代では、家族だけで死を見守ることはできず、「畳の上で死にたい」という臨死者の意思に反し、病院に送るのが一般的になった。しかしまた近年では、在宅死にたいする希望が高まっている。臨終の風景は日々刻々、変化しているのである。
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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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