土の上 8
宮崎信恵
大阪の美術高校に通っていた学生時代のある朝、私は電車の乗り換えのために梅田の旧阪急梅田駅コンコースを歩いていた。今は改装されてなくなってしまったけど、当時は荘厳な大聖堂のような柱やステンドグラスがあり、私たち姉妹は毎日通るそのコンコースをゴージャス通りと呼んでいた。まだ薄暗い朝のゴージャス通りは、乗り換えを急ぐ人々の足音だけが響いていて静かだった。ふと、柱の影で眠るホームレスのおじさんに目が行った。ニット帽と汚れた服を着て、耳にはイヤホン、手には当時発売されたばかりの白いiPodを持って目を閉じ横たわっていた。そして、天井のステンドグラスから射し込む仄かな光が彼を照らしていた。私はその光景に目が奪われてしまった。
別の冬の日、同じように梅田の地下街を歩いていた。流れる人波の中、目線の先に大量の布の端切れを縫い付けた服を着ているホームレスのおじさんを見つけた。その姿は個性的だったけど、毎日着ているであろうそれは彼によく馴染んでいた。おそらく防寒のために布を縫い付けていたのだと思うけど、そこには本人の意匠も感じられた。数年後、同じ地下街でたくさんのぬいぐるみを服に縫い付けたホームレスのおじさんにも会ったことがある。顔ははっきり覚えていなかったけど、背格好が似ていたから同じ人だったんじゃないかと思っている。
二人とも今までに見たことのない格好良さだった。それ以前から古いものが好きではあったけど、この頃から道端に転がっている何でもないものや、一見すると汚らしいと思われるものにも美しさがあるのだと知った。
同じ頃、学校のゴミ捨て場が楽しい場所だということにも気付いた。三年生の教室はゴミ捨て場に近かったから、何か面白いものが捨てられていないかと休み時間や放課後に立ち寄るのが日課になった。実習室の鉄足の重い丸椅子や、ドイツの古い建築雑誌などを拾った。ドイツ語は読めなかったけど見ているだけでワクワクした。
愛知の美術大学に通うようになってからもゴミ捨て場にはよく行った。制作途中の気分転換には学内や裏の森を散歩したり、図書館の書庫に入り浸ったりすることが多かった。ゴミ捨て場もそうやって訪れる場所のうちの一つだった。そこで何度も遭遇する人がいたから、同じように通っていた人は多かったのかもしれない。
ゴミ捨て場の粗大ゴミ置き場には色んな専攻の学生たちが制作中に出た不要な材料や作品などを捨てていた。明らかに家から持ち込んだ不要品なんかも転がっていた。一年を通してゴミは溢れていたけど、芸術祭後と年度末にはさらに大量の粗大ゴミで溢れ返った。それを目の前にして私は静かに心が躍り、乱雑に積み上げられたゴミの山によじ登って掘り出し物を探したのだった。特に大学の備品だったものは古くて良いものが多く、今でも大事に使っている。
そういう貧乏性な私は、作品を制作する時は使用済み封筒や包装紙、古紙、ダンボール、空き箱、空き缶、古布、拾った木などの廃材を使うことが多い。私にとって作ることは特別なことではないから、身の回りにあるもので作るのが自然で良いな、と思う。普通の日々の中で見た何気ない光景や何でもないような行為を自分なりに掬いとって、素朴な中にも光のあるものを作っていきたいなぁと思う。路上のホームレスを照らした仄かな光のように。
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《著者プロフィール》
宮崎信恵(みやざきのぶえ)
1984年徳島生まれ。
STOMACHACHE.として妹と共に雑誌などのイラストを手がける。
その他、刺繍・パッチワーク・陶芸・木版画・俳句・自然農を実践する。
http://stomachache.jp
http://nobuemiyazaki.tumblr.com