土の上 15

 高松空港でうどんの出汁が出る蛇口の写真を撮っていたら、名前を呼ばれた。声のした方を見ると、娘の同級生のお母さんだった。三連休の最終日、飛行機好きの息子二人を連れて空港に飛行機を見に来たらしい。私は仕事で台湾へ行くために一人で空港に来ていた。乗るはずだった十一時三十五分発の便は、機材繰りのため出発が三時間半遅れるとのことだった。そうして、前述の通り暇を持て余していた。
 彼女たちは夕方まで展望デッキで離着陸する飛行機を見ていると言うので、私も一緒に過ごさせてもらうことにした。おかげで退屈したであろう待ち時間はあっという間に過ぎていった。デッキから手を振る三人に見送られて、私は飛行機に乗り込んだ。
 外国へ行くのは約十年振りで、ましてや国際線の飛行機に一人で乗るのは初めてだった。妹や仕事関連の人々とは向こうで落ち合うことになっていたから、私の頭の片隅には常に「不安」の二文字が鎮座していた。でも、飛行機好きの少年たちのおかげで「不安」は「ふあん」くらいに和らいでいた。
 夕刻に出発した機内から見た景色は何とも美しかった。海と川と建物の屋根が西陽に照らされて輝いていた。高松からは約三時間で台湾の桃園空港へ到着した。空港近辺の一帯は池のようなものがたくさんあって不思議に思った。薄暗くなり始めた街は、上空から見ると建築模型のようだった。道を走る車もバイクもすべてがおもちゃみたいでつい笑ってしまった。

 今回の滞在は五泊六日だった。台湾に初出店となる日本のブランドの店内一角の壁に、妹と二人で絵を描くのが目的だった。日頃から運動不足の私たちは毎日全身筋肉痛になりながら作業を進めた。三日かけて無事に予定通り絵を完成させることができ、ほっとした。こうしてお店がオープンする瞬間に立ち会えたことを嬉しく思った。

 ホテルから現場までは徒歩三十分くらいの距離だった。初めのうちはタクシーに乗っていたけど、ただ街を歩くだけで面白かったから、なるべく歩いて通うことにした。目に入るすべての光景が新鮮で、久し振りに味わう感覚に私の気分は高揚した。
 行き交う人々の声や混み合う車のけたたましいクラクションなどで台北の街は喧噪に満ちていた。十年前に中国に行った時には自転車に乗る人が街中に溢れていて圧倒されたけど、台北では皆バイクに乗っていた。車もバイクも運転が荒かった。
 街中にはたくさんの木が生えていて公園も多かった。特に、枝から細い根っこのようなものが垂れている木が印象的だった。南国を感じさせる木が多く、日本と台湾の似て非なる風土を感じた。

 娘からは街にいた犬と猫の写真を撮ってきて、と頼まれていた。見つける度に撮っていたけど、出会うのは犬ばかりで猫には一匹も遭遇しなかった。猫はいなかったけど、リスは見つけた。
 晴れた日中はまだまだ日差しが強くて暑かった。日が落ちるとだいぶ涼しくなり、散歩するには最適だった。作業後は帰り道にある夜市で水餃子などをテイクアウトし、台湾のビールを買ってホテルで落ち着いて食べるのを楽しみにしていた。ある夜、魯肉飯が美味しい店の店員の青年が、妹の手に付いたペンキを指差して”Artist?”と尋ねてきた。次の日にまたその店に行くと、”Hi,artist!”と笑顔で迎えてくれて面白かった。台湾の人たちは皆優しく、私の「ふあん」はいつの間にかしぼんでいた。

 台北の街は日本によく似ていたけど、やはり文化も習慣も街の匂いも違っていた。少しの違いを知るだけで、自分の覗いていた世界が以前よりも広く見渡せるようになった気がする。刺激的な良い旅だった。
 高松に着き、車に乗って駐車場を出ると、普段は運転マナーが悪いと言われるこの辺りの人々の運転が、やけに大人しく丁寧に感じられた。私も慎重にハンドルを握り、小雨降る視界の悪い夜の道を時折ハイビームで一寸先を照らしながら、見慣れた世界へと車を走らせた。

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《著者プロフィール》
宮崎信恵(みやざきのぶえ)
1984年徳島生まれ。
STOMACHACHE.として妹と共に雑誌などのイラストを手がける。
その他、刺繍・パッチワーク・陶芸・木版画・俳句・自然農を実践する。
http://stomachache.jp
http://nobuemiyazaki.tumblr.com