#05『ミルドレッド・ピアース』マイケル・カーティス 監督(前編)
(米公開1945)
【罰せられる「やり手」のオンナ(前編)】
ソニック・ユースのメジャーデビューアルバム『GOO』(1990)に「ミルドレッド・ピアース」という曲が収められている。わたしは中学生の時にはじめて聴いた。3コードが疾走した後、ハードコア的怒濤の不協和音で終わる。耳障りな轟音はライブで特に盛り上がる曲だが、歌詞の意味は聞いても聴いてもわからなかった。単語は簡単。しかしなんのことを歌っているのかがわからない。サーストン・ムーアがあらん限りの声で絶叫する、というか発狂している。
ミルドレッド・ピアース、ミルドレッド・ピアース、ミルドレッド・ピアース・・・NO!
ミルドレッド・ピアース、ミルドレッド・ピアース、ミルドレッド・ピアース・・・WHY!
ミルドレッド・ピアース、ミルドレッド・ピアース、ミルドレッド・ピアース・・・WHAT!
インターネットのない時代だった。わたしが買ったのは輸入盤だ。情報がとれない。曲名はフィルム・ノワールのタイトルからとられていて、ミルドレッド・ピアースは主人公の女性の名前だと知ったのは、ずいぶん経ってからだった。
ソニック・ユースの「ミルドレッド・ピアース」のMVには、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにある、ミルドレッド・ピアースを演じたジョーン・クロフォードの星形プレートに触れるシーンがある。
なぜサーストン・ムーアは発狂するのか、映画を観た後もよくわからなかった。様々なタイプの野心あふれるオンナたちがでてきて、古い映画のわりに、オンナがよく描けているな、面白い映画だと思った。その多彩なキャラクター設定が「オンナを罰するため」に振り分けられたものだとわかったのは、フィルム・ノワールというジャンルの特性を知ってからだ。わたしははじめてソニック・ユースの意図を理解した。
NO! WHY! WHAT! と、絶叫せざるを得ないのは、この映画がかなり女性蔑視的だからだ。『ミルドレッド・ピアース』のアメリカでの公開年(日本ではGHQの要請により劇場公開されなかった)は、1945年。戦争中、もうすぐ戦後という時代背景が深く関わってくる。
フィルム・ノワールは虚無的・悲観的・退廃的なテイストをもつ、1940年代以降の映画ジャンルだ。ノワールは黒。夜と雨の描写が多い。大抵の場合、主人公は中年の男。平凡退屈、みさげはてたオジサンが殺伐とした都市風景を背景に、絶世の美女「ファム・ファタール」に突然よろめくのが特徴だ。
過去に執着する男は、オンナに翻弄される。過去を回収したと思った瞬間に死ぬか牢屋に入るか、心の牢獄に閉じ込められて終わりだ。要するに「自由なんてないよ」というバッドエンディングばかりの暗いストーリー。で、ミソジニーが強いジャンルだ。
とにかく男を狂わすのはオンナで、全部オンナが悪いのだ。男を破滅させるのは、ナカミのみえない美女:「ファム・ファタール」である。運命のオンナと訳される。
ファム・ファタールが悪女として描かれる理由には、当時の労働やイエに対する社会規範が大きく関わっている。第二次世界大戦後、帰還兵たちには働く場所とイエが必要になった。それを叶えるためにも、戦時中に工場労働などに従事していたオンナ達はイエに戻された。オンナには専業主婦になってもらわないと困るのだ。男の労働現場を奪うからだ。
この時代に労働するオンナや結婚していないオンナは、男にとってはイエも自分の労働も脅かす対象でしかなかった。だから家庭をもたない若い美女は、中年男を破滅させる、男を愛さない悪女=脅威として描かれた。ファミリーやイエの維持を阻む悪のアイコンがファム・ファタールってわけだ。
戦時中、男たちに代わって労働していたのはオンナたちだ。一気に除隊し就職難となった男たちの内面には、オンナたちの「自立」への恐怖が横たわっていた。それが、フィルム・ノワールというジャンルの女性蔑視的な側面を支えていた。
そういうジャンルの成り立ちを知った上で、『ミルドレッド・ピアース』を眺めると、「おもしろいオンナがたくさんでてくる」話は、「やたらオンナが罰せられる」話でもあったと認識できる。
この映画において、現代的な女性はみーんな「悪女」だ。「若いオンナ」は悪だ。「野心のあるオンナ」も悪だ。「事業をやるオンナ」も悪だし、「男を必要としないオンナ」も「性的に奔放なオンナ」も悪である。『ミルドレッド・ピアース』はフィルム・ノワールには珍しく、女性が主人公の映画で、内面もたっぷり描かれるが、それは悪女を罰するための「フリ」でしかない。「オチ」は悪女の破滅である。
ミルドレッド・ピアース(ジョーン・クロフォード)は悪女か? まずとびきり美人だ。結婚していないなら「悪」決定である。男をたぶらかす風貌だから。しかし「夫」がいて「イエ」の中にとどまってさえいれば、美女も「悪」ではなく「善」だ。
ミルドレットは17歳で夫バートと結婚し、以降は料理、洗濯、育児だけという生活を送っていた。この時点では「善」である。1945年アメリカの、社会規範にのっとっているからだ。二人の娘のいる専業主婦:ミルドレッドと夫の関係性は冷え切っている。失業中の夫には、浮気相手がいるからだ。ミルドレッドは夫とけんかし、別居する。別居で「悪」のポイントが加算されるのは、不倫中の夫ではなく、ミルドレットの方だ。
ミルドレッドにはカネがない。ケーキを売って稼ごうとするが、「ビジネス」がよくわからない。娘たちにピアノやバレエをならわせるためにもカネがいる。彼女は特に自分に冷たくあたる長女を溺愛し振り向いて欲しいのだ。子育てのためにもカネがいるミルドレッドは、ウェイトレスとして必死に働く。イエをでて働くのは「悪」だ。娘たちに階級以上の教育をつけるのだって「悪」である。
ミルドレッドはついに、レストラン事業を始め大成功する。経済的に自立する、男より稼ぐミルドレットは絶対的に「悪」である。
現代的価値観からみれば、どこをとっても立派なのが、ミルドレッドというオンナだ。懸命に働くシングルマザーである。しかし彼女は1945年のアメリカでは「悪女」だ。男より稼ぐから。事業を成功させたから。イエを離れがちだから。そして娘たちに階級にみあわない暮らしを与えようとしているから、「悪」なのだ。
次回は、ミルドレッド以外の「悪女」の姿も俯瞰しながら、「悪」はどのように規定され、どのように描かれたかを具体的にみていく。
/////『彼岸花』2025.12.12 ONSALE/////
「人生で選べたことなんてあったか?」
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90年代に青春を送り、コロナ禍の〈今〉を生きる氷河期パンクスの「痛み」と「反抗」の物語。オルタナMANGA、ついに単行本化!
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