#05『ミルドレッド・ピアース』マイケル・カーティス 監督(後編)
(米公開1945年)
【罰せられる「やり手」のオンナ~(後編)】
映画の冒頭シーンは事業に成功した主人公の「ミルドレッド」(ジョーン・クロフォード)の姿を捉えている。真っ黒な夜である。ミルドレッドはゴージャスな毛皮をはおり涙を流して歩いている。特撮好きなら、ジャミラか? と突っ込むほどの。洋楽好きならトーキング・ヘッズのストップ・メイキング・センスか、と言いたくなってしまうほど、「肩幅」が過剰に強調された姿だ。真四角の上半身は戯画化された男でしかない。
ミルドレッドの服に注目して映画をみていくと、レストラン事業が成功したあたりから突然「肩」がいかりはじめる。どこで「男以上に稼げるオンナ」になったのか、外見をみているだけでわかる。「オンナのくせに」。悪! 悪! 悪! 罪! というジャッジは、「男らしいカタチ」を模倣させることに表れる。
ミルドレッド以外の登場人物のオンナたちもまた、1945年のアメリカ社会で「悪」に規定される女たちである。
ミルドレットの娘たちは「未婚で若く」、実父と離れて母とだけ暮らす(父権の及ばないオンナたちだ)から「悪」である。男に従わない状態で「オンナ」だけで交流する関係性は「不適切」だから、「悪」である。父権から遠ざかった彼女たちは「いつか男たちを破滅させる異分子」予備軍なのだ。子を産まない、男を必要としない「レズビアン」(と同等の存在)は「悪」である。
長女:ヴィーダ。とにかく金持ちになりたいオンナである。今で言う「港区女子」的な成り上がりを目指している。興味があるのは金持ちの男だけ。だから容姿にはとびきり気を遣う。父親がいつか殴ってしまうかもと恐れるほど生意気な女子だ。油臭い労働をする母親を「卑しい階級」と見下し、必ずや階級を乗り超えてやると、欲望の炎をメラメラ燃やす「野心家」だ。成り上がるためにセックスをする。「性的に奔放」だから悪である。罰を受けて破滅する。
次女:ケイ。外見に気を配らない女児だ。男子に興味をもつことは8歳の時に諦めた。元気いっぱいで天真爛漫で性格がすこぶるよい。男子にまじってアメフトを楽しむぐらい「ボーイッシュ」な女児だから「悪」である。オーバーオールを着て、どろんこで遊び、「男の子になりたかった」とのたまうのは「悪」なのだ。金持ちじゃないのに、バレエを習ってるのも「悪」である。「男児のまがいもの」である彼女は、病気で死ぬ。しかも彼女は、父の不倫相手のイエで死ぬ。なぜならこの映画は、ミルドレッドを罰するための物語だから。
ミルドレッドの親友。労働現場の支えであるアイダ。そもそもはウェイトレスの先輩だったが、ミルドレッドの事業を支えるようになる。アイダには辛辣さと暖かいユーモアがあり、プライベートに踏み込みすぎず、ミルドレッドが窮地に立たされた時には寄り添い、励ます。ふたりの距離感、バディ感はとびきり格別で、こんな友達いたら最高だよな、とオンナなら誰もが思うだろうが、男から離れたオンナたちだけの不適切な交流は、この時代の道徳規範に反するものだから「悪」である。オンナたちだけで「男なんて」と軽口を叩くのも「まるで男みたい」な態度だから「悪」である。
アイダは「経済的に自立」していて「男を必要としないから」悪なのだ。
「つきあう男はクズばっか、わたしは男なしで生きていきたい」。
このリアリティあふれる吐露こそが、1945年のアメリカでは「悪女」の台詞でしかないわけだ。レズビアンの「男役」として描かれているのがアイダだ。たとえレズビアンでなくても、だ。
オンナとオンナの距離感の近さは、「悪女」と規定されるコードである。ミルドレッドと娘のヴィーダ、ミルドレッドと親友アイダ。性的なシーンなんて見当たらないが「半開きの口」「顔が近すぎ」「一緒のベッドで寝そべった」などの描写によって「オンナ同士でセックスする」シーンと見なされる。
父権の強い社会において、オンナとオンナのまっとうな交流とは、夫、父という保護者があってこそ。夫や父が欠けたオンナたちは距離感が近いだけで「レズビアン」みたいだから「悪」なのだ。
頼りない夫を捨て、事業を成功させ、経済的自立を果たしたミルドレッドは「悪」なので罰が与えられる。次女はダンナの不倫相手のイエで死ぬし、長女はモンスター化していく。そこそこのイエのくせに、娘に上流階級みたいに振る舞わせたから、罰せられるのだ。甘やかすから酷い目にあったのだ、イエを離れて稼ぐからだ、という教訓すら入っているのだ。
『ミルドレッド・ピアース』を観るわたしが、最も絶望的だと感じる「オンナに対する」規範は、「決して階級上昇してはならぬ」という圧である。この映画で一番の悪女は長女のヴィーダだ。悪女を超えた「怪物」として描かれている。母の男を寝とってでも「階級上昇」を目指す彼女にとって、「物質的豊かさ」こそが最上の美徳である。「労働」なんて愚鈍で下劣な生き方から遠く遠く離れていたい。真の上流階級は、母・ミルドレッドのように働いたりはしない。彼女はそこを目指している。
母であるミルドレッドにとって、娘のヴィーダは自分には届かなかった生き方を叶えられるかもしれないオンナだ。「産まれてからずっと台所にいるような気がする」ミルドレッドは、娘の夢を金銭面で支える。自分が産んだ欲深いオンナの、並外れた野心をかなえるためなら、自己犠牲だって厭わない。
見方を変えると、ミルドレッドの経済的成功は、ヴィーダの上昇志向があってこそなのだ。ヴィーダの強い欲望なしに、ミルドレッドが自立し、イエから解放されることは、あり得なかっただろう。
ミルドレッドにも「上流への憧れ」がある。「台所に縛り付けられない」人生を娘には与えたい。その一心ゆえに、階級をかけあがろうともがく娘に支配され、カネを吸い上げられ続ける。
一方の娘のヴィーダは、喰うための労働を必死でやる母を見下しながらも、その援助なしには「上流」に這い上がれない。母娘は強い共依存関係だ。
ヴィーダはニンゲンですらない怪物として描かれる。しかしヴィーダが男なら? これほど責められただろうか? 父親に刃向かい、父のオンナだって寝取る野心家の若い男であっても、モンスターに描かれるだろうか?
ヴィーダは1945年のアメリカの、若い未婚のオンナだから、こんなにも痛めつけられる物語になったのではないか?
わたしはヴィーダってオンナがすきである。欲望を叶えるために、全力で取りにいく執念、思いをとげるためにはどんなことだってヤる彼女がすきだ。母を乗り越え、母とは違う人生を歩もうとするこのメチャメチャなオンナが好きだ。
ヴィーダは男に嫌われることもオンナに嫌われることも恐れていない。ただひたすらに、自分の夢を追っている。若い肉体は彼女のなけなしの能力である。それを「使っている」だけだ。
「愛だの恋だの知るかよ! あたしは豊かになりたいんだ!」という夢や希望に生きるオンナを、しょうもない上昇志向だとせせら笑い見下す理由なんて、誰にもないとわたしは思う。
ヴィーダは破滅する。彼女は家父長制が強い1945年のアメリカの男社会では「悪」だからだ。ヴィーダは性別を間違ったのだ。男ならよかったのに! 「男の子」になりたかった妹が死んだように、「男のように欲深く生きた」姉の人生も終わる。
結局、夫と別れたミルドレッドがつくった新しい「イエ」は崩壊する。事業も破滅だ。ラストシーンでは浮気していた頼りない元夫に支えられて「完」である。元夫が「イイヒト」でよかったね、めでたしめでたし。
めでたいわけないだろ? ソニック・ユースの発狂が聞こえてこないか。
NO! WHY! WHAT! ギャー!!!!
一方、男はどう描かれるか。例えばミルドレッドの元ダンナ、バートだ。失業中でカネは稼がん上に、娘たちが相手の名前を知っているほど、堂々と不倫している。不倫相手のオンナは中流階級。しかも病に倒れた次女を、不倫相手に介抱させた。
そんな「ろくでなし」男:バートは、失業しても不倫しても離婚してもずっと「善」でしかない。ミルドレッドが養育しているにもかかわらず、オマエは娘を甘やかしすぎだ、そこそこに育てろなどと苦言を呈するだけのウザい男は、「圧倒的に善」なのだ。そもそもピアースはバートの姓だ。
わたしなら「役立たず」と罵るこの男は、映画の中ではダークサイドに堕ちたミルドレッドを正しい道へ導く正義なのだ。警察に尋問されるミルドレットは答える。
「(離婚したのは)わたしが間違っていたの。気づくのに4年もかかったけど今ならわかる。」
何なんだ。本当に。圧倒的に面白いミルドレッドを、改心させないでほしい。しかしこの「改心」を描くために、この映画のキャラクター設定はある。
『ミルドレッド・ピアース』はデキるオンナ:ミルドレッドに「そんな男みたいなことばっかりしていないで、元ダンのもとに、イエに帰りなさいよ」と改心させるために、罰が与えられ続けるというお説教譚なのだ。
NO! WHY! WHAT!
ラストシーンではソニック・ユースの『ミルドレッド・ピアース』の発狂が流れて欲しいが、そうはならない。1945年のアメリカ。ラストシーンのミルドレッドは元夫のバートにいざなわれて、暗い取調室から明るい外へでていく。黒から白へ。黒い女を白い明るさへ導いていくのが「男」なのだ。
男は窓を開け、ブラインドをあげ、ソトへ、光の射す方へとオンナを誘う存在だ。明るさ。それは父という存在あってこそ。父権の復活で世界はちょっと明るくなる。バードのそばによった途端、ミルドレッドに光が射す。男は正義、オンナは悪である。
やめてくれ、冗談じゃない。NO! WHY! WHAT!
映画の冒頭のシーンに戻ろう。ジャミラ的肩幅すごすぎ毛皮を着たミルドレッドは、夜の街を歩いている。桟橋は濡れて黒光りし、いかにもノワールな絵作りだ。ミルドレッドが黒い時、それは「悪女」感が高いのだ。
そこから過去にさかのぼる。離婚前の専業主婦だった頃のミルドレッドだ。明るい郊外。ミルドレッドの服も薄明るい。社会規範で「善」とされている時の彼女には光が射している。夫がいて扶養され、台所が居場所・・・そういう従属的立場である時のオンナは白い「善」だ。
善悪は明暗対比の表現にも顕著だ。光は善、影は悪。昼は善、夜は悪。白は善、黒は悪だ。
ミルドレッドの稼ぎが増えるに従って、身にまとう服はどんどん黒くなっていく。ほんとうに露骨すぎる。
とはいえ、この映画はすこぶる面白い。だって面白いオンナしか出てこないから。「悪女」の多彩さこそが、わたしが欲する多様性である。
どういうオンナが「悪女」とされているか。そこに時代の社会規範、経済状況、政治体制が現れる。今、『ミルドレッド・ピアース』を観て、観客が彼女たちを「悪女」と見なさないのは、悪女というレッテルを貼られながら、居場所のない場所で闘い、居直ってきたオンナたちがいたからだ。
タイトルバックは寄せては返す波である。黒と白、善と悪は、常に変わり続けていく。
わたしに『ミルドレッド・ピアース』を教えてくれたソニック・ユースのキム・ゴードンとサーストン・ムーアは、オルタナティブ界屈指のおしどり夫婦だと言われていた。2011年、ふたりは離婚し、ソニック・ユースは解散した。離婚の理由はサーストンの浮気だった。このカップルが別れるなんて、信じられなかった。
NO! WHY! WHAT!
NO! WHY! WHAT!
オンナの発狂はオンナのせいか? わたしは悪女の側に立つ。
/////『彼岸花』2025.12.12 ONSALE/////
「人生で選べたことなんてあったか?」
緊急事態宣言下、追いつめられたオンナの運命は…。
90年代に青春を送り、コロナ禍の〈今〉を生きる氷河期パンクスの「痛み」と「反抗」の物語。オルタナMANGA、ついに単行本化!
◾️『彼岸花』の単行本に帯がない理由→編集部ブログ