#06『別れる決心』パク・チャヌク 監督(後編)

【生きる屍を蘇生し永遠に囚われの身にする外国人のオンナ~(後編)】

『別れる決心』の後半は海の話。目線は男からオンナへ変わる。

都会から田舎へ、山から海へ、都落ちしてきたエリート刑事のヘジュン(パク・ヘイル)は、妻の元でまた眠れない日々を過ごしている。妻の閉経を遅らせるためのザクロをむきながら、男性機能にはスッポンが効くという高説を黙って聞いている。

ザクロをむく夫婦の絵作りもまた、シンメトリーだ。向かって左が妻、右がヘジュンである。冒頭と比較するとヘジュンの位置が右にかわっている。この構図は「後半はオンナ目線で語るぞ」という目配せにみえる。

ヘジュンは頂点から「降りた」今も、前半の冒頭と同様に、「安全第一」を美徳とする理系の妻に「健康的生活」を強いられるデカだ。この夫婦には、肌を重ねて愛し合うことにすら偶然性がない。セックスにまで合理性を求めた結果、「健康」「長寿」という利益のためにヤる。妻がつくりあげた完璧なルールに、ヘジュンは反発すらしない。慈悲深い曖昧な笑みを浮かべて「システム」に従う男は、無味乾燥とした日常をやりすごす生きる屍だ。

被疑者に恋をするという、ささやかな逸脱を経験したあとも、彼はなにひとつ変わってはいない。システムの頂点にかけのぼったエリート男は、転落の快楽を一度は夢見たが、結局はシステムの奴隷であり続けている。「ふりだしに戻った」状態で、「安心・安全」最優先のシステムを信じる妻に支配されている。

妻とそぞろ歩く霧の街:イポの魚市場で、ヘジュンは死んだ魚の目線で見上げられる。物語の冒頭、死体にみあげられ「生きる屍」同然だった男は、後半の冒頭では死んだ魚と同等だ。「死んだ目」の男は、もはやニンゲンではなく魚まで格下げされている。そこで偶然出会ったのが「次のダンナ」を連れ、青いドレスを着て青いヒールを履いた「悪女」ソン・ソレ(タン・ウェイ)だ。

ソン・ソレは「緑のドレス」を着ていたと言うヘジュンに妻は「青いドレスだった」と返す。緑のドレスのオンナに取り憑かれている「めまい」のジェームス・スチュワートでしかない男には、ソン・ソレのほんとうの姿は見えていない。ソン・ソレは青い海のオンナだ。緑の山のオンナではない。

つたない韓国語で話していた「夫に暴力を振るわれる外国人」で「主体性の乏しいはかなげな」オンナは、後半では中国語で話す主体的な「悪女」にがらりと変化してみえる。観客は気づくのだ。今まで観ていた彼女の姿は、ヘジュンの主観でしかなかったことを。ワレワレには目薬が必要だ!

ヘジュン目線で語られた前半は、「山」の話だった。山とは、組織のピラミッドのメタファーでもある。そこで繰り広げられたヘジュンのデカとしての日常は、「高低差」を強調した仰角の構図で絵作りされていた。

階段の上と下。坂道の勾配。屋上階と地上階。ヘジュンは組織の上位にいる人生だから、常に上に立って語っていた。自分より背の高い男の後輩は、階段の下でヘジュンを見上げていたし、ヘジュンが駆け上がっていく時は彼が手柄をたてる時だった。前半のヘジュンはスニーカーを履いていた。坂道をかけあがるため、走り回るための靴だ。

後半、「海」の話になってから、彼はスニーカーを履いていない。革靴を履いている。イポは走り回る必要がない場所だからだ。彼はもう上位には立てない。

イポでのヘジュンの仕事の相棒は女性に変わる。男社会の猿山の論理は彼女には通用しない。彼女はイポの警察組織で浮いている。後半の冒頭、ソン・ソレによって鳴らされたアラートによって戸外に避難させられた警察官たちのシーンは、男社会に生きる女性警官の苦難をさらりと映し出している。煙草を吸う男は彼女のライターの火すら受け取らない。警察組織のオンナはまるで透明人間のようだ。前半で後輩の男と堂々と真正面から捉えられていたヘジュンは、そんな彼女とロング・ショットで小さく捉えられている。イポの警察署でのヘジュンの存在感の小ささは、絵作りでも示されている。イポでのヘジュンは誰とも「夫婦関係」をやれない。

前半では大活躍していたデジタル・デバイスも、イポのヘジュンの支えにはならない。ヘジュンが腕に巻き音声メモとして使っていたスマートウオッチは、アナログ時計に変わっている。現場のメモを残そうにも、相棒の女性のサポートなしには叶わない。

海の街、高低差のない世界にいる彼はとにかく無力である。スッポン泥棒が落としたスッポンを回収する時も、指を喰われるただの役立たずだ。後輩の女性の忠告を無視したからだ。慈悲深い山の男は、海では非力だ。

後半の冒頭、ソン・ソレはイポの警察署に侵入しアラートを鳴らし、ヘジュンがそこにいることを確認した。「見る」のはソン・ソレだ。「見られる」のはヘジュンだ。前半とは立場が逆である。狩りをしているのはオンナの方で、男は獲物でしかない。海の街でパワーを持つのは、オンナだ。イエでも職場でも。

事件がおきないイポの街で殺人事件がおきる。ソン・ソレの「次のダンナ」がプールで殺された。またもソン・ソレは容疑者だ。

ヘジュンを追って、ソン・ソレが海のそばまで来た以上、彼はもう「溺れる」ふりではすまない。前半は「崩壊ごっこ」でしかなかったが、人生に予行練習などないのだ。海のそばの街で、男がオンナにほんとうに「溺れる」準備は整っている。ヘジュンが足湯をするショットは象徴的だ。水はもう足下まで来ているのだ。

ソン・ソレがほんとうに愛した男「慈悲深い山の男」は「刑事✕被疑者」の関係性を決して超えようとはしなかった。地位を得たエリートであるヘジュンは、踏み外したい願望をもって他人と関わる時も、「安心・安全」なシステムに守られた人生を結局は優先させてきた。

ヘジュンは「愛している」フリだけはするが、その実システムの奴隷でしかない臆病な男だ。しかも、臆病ゆえのシステム追随の姿勢すら「妻への慈悲」に意味をすり替えている。

慈悲深い態度だけはとりながら、オンナを決してほんとうに助けたりはしない男に、境界線上を生きてきたオンナが絶望しないわけない。オンナが一歩踏み出したところで、吹けば飛ぶのは自分だけ。システム外に生きるしかない「悪女」にとって、自分に親切にしてくれる礼儀正しい「イイヒト」は、反吐が出るほど欺瞞に満ちた野郎でしかなかった。

心が通じたと思えた男の実体に触れたオンナには、もはや生きる希望などない。糞しかいないとわかったのなら、糞な世界からは去るのみである。どう去るかだけが、彼女の課題だ。

ソン・ソレはずっと「死にたい」オンナである。ずっと崖っぷちに立たされてきた居場所のないニンゲンにとって、「死にたくない」より「死にたい」と思い込むほうが精神的には安定する。その方が「死ぬ」恐怖が和らぐからだ。そういう追い込まれ方をしているオンナのそばに踏み込んで、結局「見ている」だけの男、手をひっぱり自分の胸によせることすらしない男の弱さに、彼女は心から失望したのだ。

物語の前半で、ソン・ソレは死んだカラスを丁寧に埋葬していた。カラスは自分が餌をやっていた猫に襲われて死んだ。ソン・ソレはわかっていたのだろう。ヘジュンは、気の毒な野良猫に餌をやり撫でてやる「慈悲深い」ニンゲンで、自分は野良猫だということを。その絶望的な隔たりに、ソン・ソレは打ちひしがれたのだ。

彼女は海を愛する賢いオンナで、ヘジュンは高低差がある場所で輝く山の男だ。野良猫は餌のお礼に、カラスの亡骸をソン・ソレに捧げた。野良猫ソン・ソレが、システムの犬に捧げるものは何か。

愛した男を「崩壊」させるため、ソン・ソレは身も心も全部投げ出す。「未解決事件」になって彼の心を一生支配するためだ。彼女は弱いオンナでもバカなオンナでもない。男に「見られる」だけの緑のオンナではなく、青いオンナである。彼が見下ろせる場所に、彼女はいない。彼女は深く潜り消える。

ソン・ソレを探すヘジュンは、両目に目薬をさし、海辺を右往左往する。目薬をさしたところで彼には何も見えない。

夕暮れの海岸で「すぐに見えなくなる」と叫び、革靴を濡らしながら応援を呼ぶエリートの彼は、無力で凡庸なバカでしかない。

山の上で死体を見下ろしていた男は、海まで降りてきても結局何もわかっていない。システムのソトで生きるしかない流浪の女性の苦しみを、彼には一生理解できない。複雑なルーツゆえの孤独、居場所のない哀しみ、いつ何時も簡単に追い出されるさみしさ、言葉を発しても発しても伝わらない徒労感、虚無感、いらだちは、山の頂から見下ろし、システムに守られてきたヘジュンには決してわからないのだ。

目薬をさそうが翻訳アプリを使おうが、転落すらも人生のスパイスにしかなりえないほど「持っている」男に、這いずり回ってきたオンナのリアルは想像もできない。彼女は身を滅ぼして、全身全霊で訴える。「オマエだって失えば分かるよ」ということだ。

「未解決」のまま消える。永遠に男を縛り付ける唯一の方法を、彼女はやってのける。

誠実・平等・優しいと評判の、階級の上位に立つデキる男を死体から蘇生させた「介護職」のオンナは、自分に何も与えない男のとんまな愛に絶望し、男の息の根を殺すことなく止めた。ヘジュンは生きている限り一生眠れないだろう。生身のオンナに関わって「崩壊ごっこ」ですむわけない。

オンナにその場その場でいい顔をするだけのナメてるエリートは、妻にだって捨てられる。原子力発電所の安全・安心のために働く、とびきり頭のいい理系のオンナの「安全・安心」へのこだわりだって、並大抵の覚悟ではない。

デキる妻を愛するのなら、スッポンを鬼のように喰らい、ザクロの皮を真剣にむき続けるか、全力で「安心・安全」を拒絶し身体ごとぶつかりあってケンカするしかないのだ。この男はどちらも選ばない。「死んだ目」でセックスするから捨てられたのだ。まなざしは伝わる。妻が選んだのは、共に「安心・安全」のために働く上司だ。殺人と暴力と他のオンナを「見る」男など見限ったのだ。

フィルム・ノワールは主人公の男が、ファム・ファタールによって破滅させられる物語だ。過去を回収できたと思った瞬間、死ぬか、塀の中にいくかだ。そうやって男はスクリーンのソトにはみだしていったが、オンナは枠のソトには出られないのがこのジャンルの型だった。

『別れる決心』はそこを踏み超えてくる。男は塀の中には行かないし、死なない。だけど永遠に破滅し続ける。ファム・ファタールは主体的な行為のよって、自ら枠のソトへはみだしていく。「死にたかった」ソン・ソレは、愛する男の心を奪って死んだ。オンナは、どん底からの一撃を、相手も自分も滅ぼすクロスカウンターを、全力で打ったのだ。

フィルム・ノワールというジャンルのお約束を使いながら、内包されてきたミソジニーを破壊し、オンナがはみ出す物語に変えた映画だ。枠の内側に取り残されるのは男の方だ。単なる不倫メロドラマではない。ファム・ファタールという「悪女」にされてしまったオンナが、魂をこめて男を「見返す」物語である。この映画の脚本家:チョン・ソギョンは1975年生まれの女性だ。

「あなたの声、私に愛してると言った声」

彼女がスマホに残した声を聞きながらヘジュンは海に立ち尽くす。波が何度も何度も彼の革靴を洗う。ヘジュンは革靴の紐を結び直す。ここにきてもまだ、裸足になる覚悟すらないシステムの奴隷が右往左往する様は、あまりにも情けなく、あまりにもリアルだ。

ソン・ソレは見つからない。夜がやってくる。あたりはどんどん暗くなる。男はもう腰まで波につかっている。彼に待っているのは、塀の中にいくよりも、死ぬよりもつらい長い長い「生」である。

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  • /////『彼岸花』2025.12.12 ONSALE/////

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