#10『エル ELLE』ポール・バーホーベン 監督(前編)

【助けを求めず観客に憎まれる被害者のオンナ(前編)】

『エル ELLE』は、フランス語で「彼女」を意味する代名詞。これは「彼女」ミシェル・ルブラン(イザベル・ユペール)の話である。

主人公のミシェルは、凶悪犯罪の加害者の娘で、会社の社長で、離婚歴がある。成人した息子がいる母親で、しかも性暴力の被害者でもある白人女性だ。情報が多い。

映画の冒頭、ミシェルはスキー用のマスクをかぶる男に、自宅でレイプされる。犯された彼女は、優雅に泡風呂に入り、水面ににじんで浮かんできた「生暖かくて濃い血」を手ですくった後、寿司屋に電話し、ハマチを注文した。そして、何事もなかったかのように、平然と出社した。彼女はゲーム会社のCEOだ。

若いオタク男たちを率いる権力者である彼女は、オトコたちが創るゲームをチェックしている。画面の中では怪物が、触手で女性キャラを犯している。「糞ゲー」だ。「コントローラーが糞だから楽しめない」というシゴデキ男を一蹴し、彼女は言う。

「(このゲームの女性キャラクターは)セックスが怖いみたい。内臓をえぐるなら血が流れる感触がないと(いけない)。生暖かくて濃い血が(流れるリアリズムが)必要だ」

レイプされた直後のオンナが、こんなことを言えるのだろうか? さっき見たあの凄惨な性暴力は、本当にあったことなのか? 彼女の妄想か? 夢か? それともセックスのプレイなのか?

部下であるシゴデキ男に「プレイヤーのことを考えていない」と言われた彼女は、まるで遅漏男に「はやくイカせろ」と罵るように、納期の遅れを叱責する。この組織のコントローラーを握っているのは男ではない、彼女だ。

社員のオタクどもは、彼女をいつか踏みつけたいS男か、彼女に踏まれて快楽を得たいM男しかいない。部下たちから漂う攻撃的な空気にも、彼女は屈しない。

とにかく、何事もなかったかのようにふるまうこのミシェルの一連の行動に、観客は強烈な違和感を覚える。人によっては、嫌悪感を抱くのかもしれない。理解不能なまでに、傲慢不遜だからだ。被害者には、とても見えないからだ。

「世間」という圧は、レイプされた女性が、泣き叫んだり、震えたり、同性に抱きしめられたり、異性に守られたりすることを、どこかで望んでいるのかもしれない。それが「レイプされた人の正しい態度」だと思い込んでいる。しかしミシェルは、そんな態度を一切とらない。ことごとく「違う」表情、アクションをとる。

ミシェルは泣きもしないし、わめきもしない。冷静沈着。ひたすらアタマの中で何度も何度もレイプシーンを反芻し、どうすれば反撃できただろう、どんな武器があったらよかっただろうと考え続ける。催涙スプレーを常備し、斧を買い、射撃の練習をし、誰にも助けは求めない。

なぜなら彼女は、この世のシステムで生きる自分が、圧倒的にアウェイだと知っているからだ。凶悪犯罪者の娘であるミシェルは、恨まれながら生きてきた。カフェでくつろいでいる瞬間にも、見知らぬ誰かが彼女を、クズと罵りながらゴミを投げつけてくる。他者から激しい憎悪と暴力を向けられて生きてきたのが、ミシェルという人間だ。

ミシェルは、人生には「信じがたいほど深い絶望を味わえるイベントが度々おきる」ってことを知っている。「人生は糞ゲー」だってことを、身をもって知っている。

誰にも助けてもらえたことがないミシェルは、レイプされても泣きもわめきもしないし、警察に通報もしない。そんなことは、自分を疲弊させるだけの無意味な行動だと、分かっているから「しない」のだ。自分の身を守れるのは自分だけ。病院で身体のチェックはする。自分を守るために、最もタイパよくコスパよく動くのが、ミシェルだ。合理的に生きている賢いオンナである。

レイプされた彼女が平然と、淡々と、ゲーム会社のCEOらしい優雅な日常をこなすのは、身体が侵犯されても内面まで犯すことはできないことを、証明するためかもしれない。

男の暴力ごときで、オンナの内側の海に「さざ波」だってたてることはできない。ミシェルはそのことを、身をもって証明したいのだろう。なぜなら彼女は、誰にも服従しないと決めているからだ。それは警察を信じないという態度からもわかる。彼女にとって警察は、「服従」を強いてくるシステムでしかないからだ。

彼女は彼女の欲望を叶えるために、人生を歩んでいる。父親が酷い殺人鬼だろうが、チンケな老人だろうが、関係ない。人生を動かすコントローラーを握るのは、自身だけだと強く信じるミシェルは、たとえ人生が糞ゲーであっても、理不尽に設定された課題や目的を、自分の力で絶対にクリアできると信じて生きている。

そうやってキバって生きてきたオンナだから、性的にも決して受動的にはならない。レイプされた直後だろうと、断じてチンコにビビったりしないのがミシェルだ。不倫相手のピエールが、職場でいきなりパンツをおろしても、表情一つ変えずイチモツの下にゴミ箱をおいてやる。オマエの精液などゴミだと、言わんばかりの応対だ。

彼女をレイプし、ゴミ箱のように扱った男は誰なのか? まわりにいる男たちは、ことごとく怪しい。

⚫︎元夫で売れない作家のリシャール
⚫︎ビジネスパートナーの親友:アンナの夫であり不倫相手でもあるピエール
⚫︎スキー用のジャケットを着た職場の反抗的なシゴデキ男
⚫︎ゲームでレイプされるキャラクターにミシェルの顔をアイコラした社員
⚫︎向かいに引っ越してきた、やたら自分になれなれしい男:パトリック

母を失ったミシェルは、母の願いをかなえるため、長年拒絶してきた父親と面会することを決めた。それを知った父親は、獄中で自殺した。

運転中に父の死を問う糞マスコミからの電話がかかってくる。しかも道に鹿が飛び出してくる。ミシェルはハンドルを切り損ねて交通事故をおこし、怪我をする。人生は糞ゲーだ。理不尽な課題にどう向き合うか?

ミシェルは、警察に助けを求めたりしない。彼女は、レイプ犯であると強く疑う人物に助けを求め、怪我の手当をさせる。そして、彼に問うのだ。

「(わたしとのセックスは)よかった? 答えて。満足? なぜあんなことを?」
レイパーは答える。
「必要だったから」

2時間強の映画で、犯人は1時間半でわかる。残り30分、彼女とレイプ犯の関係はどうなるのか?

ミシェルは、なんとレイプ犯とセックスするのだ。彼女から露骨に誘って。レイプ犯と地下に降り、世間と隔絶され悲鳴も届かぬ空間で殴られ、床にうちつけられ、チンコをプッシーにぶちこまれる。最初のレイプシーンと同じように暴力的に、しかし「同意の上で」セックスする。

レイプ犯はオンナを殴り、相手に拒絶されている時にしか勃起しない。そういう男とわかっていて、ミシェルはセックスする。彼女はレイプ犯の求める態度で、セックスする。なぜなのか?

レイプによってオンナの性欲が高まる、開発される、などというのは、男の性的ファンタジーでしかない。それはポルノの世界にしかない話だ。『エル ELLE』は男の陳腐な幻想を叶えるための物語ではない。

レイプ犯が求める態度にミシェルが応じ、セックスまでやってのけるのは、自分は糞ゲーのキャラクターで、暴力的に犯されるのだって、プレイでしかないと思いたいからではないか。お互いに協力しあい、与えられる試練を乗り越えて目的を達成する「ロールプレイングゲーム」だということにすりかえて、乗り越えるためではないか。ミシェルは、レイプすら「信じがたいほど深い絶望を味わえる糞ゲーイベント」として処理することで、人生だってコントロールできるという実感を得たいのだろう。

自分の人生をおびやかす恐怖も憎悪も無力感も、そうやってミシェルは乗り越えてきたのだろう。これは糞ゲーだと現実逃避することでしか、切り開けなかった苦難続きの人生だからだ。「必要だからそうした」とレイプ犯が答えたように、ミシェルだって、レイプもフィクションでしかないと脳内処理するために、狂った性的関係へなだれこむしかないのだろう。

セックスが厄介なのは、身体の構造の違いを使う行為だということだ。男女でヤる時、男は棒で、オンナが穴。棒を穴に突っ込むアクションなら、楽勝で主体性が感じられるだろうが、穴の方はどうだ? 「主体性をもって取り組む」という意味で、圧倒的にアウェイなプレイだ。穴から棒に突っ込むことは、果たしてできるのか?

そもそも対等でいることが難しいカタチを使った行為で、支配・被支配の関係性を拒絶し、棒に絶対に「服従」しない方法とは? 相手の手足を縛る、言葉で命令するなどで自由を奪うか、相手も好きにヤってるんだろうが、自分だって相手以上に好き放題ヤっているという感覚をもつしかないのでは?

オンナにとってセックスとは、こっちの都合も最大限に表現しなければ、簡単に服従させられる、負けてしまうゲームだ。大抵の場合、男の方が、腕力もある。

会社では糞ゲーが完成する。ミシェルは、対立していたシゴデキ男に握手を求める。
「お見事よ」
神ゲーの誕生だ。

かつて2ちゃんねるで、「人生は糞ゲー」説が流行った時、同時に「人生は神ゲー」説も流布されていた。神ゲーである人生には「本気で自分を愛してくれるキャラ」がいて、「信じがたいほど深い感動を味わえるイベント」が結構あるらしい。

糞ゲーが神ゲーになった新作披露会で、ミシェルはレイプ犯と、イギー・ポップの「ラスト・フォー・ライフ」を爆音で聞きながら踊っている。イギーの、がなりたてるような声が会場に響き渡る。
「オレは今 心が痛むんだ 愛とやらを見つけてしまったために」
「オレは今 生きてみたいんだ 本能ってヤツさ」

ミシェルは、ビジネスパートナーのアンナに、彼女の夫ピエールと不倫関係にあったことを告白する。狼狽し去って行くアンナを追うピエールに「何をした」と聞かれたミシェルは「嘘をつくのをやめた」と答える。

ミシェルはずっと、嘘をついてきたのだ。誰に? 自分にだ。

父親が犯罪によって自分を永遠に見捨てたということに傷つき、犯罪加害者の娘であるということで「イカれた少女」として世間から憎まれてきたことに傷つき、警察からも助けてもらえないことに傷つき、レイプされたことに傷つき、会社の年下の男たちに見くびられていることに傷つき、不倫相手には性的な欲望しか向けられないことに傷ついていた。

男たちに傷ついてきたミシェルは、自分は被害者であるということを認めることにしたのだ。

ミシェルは、いつ何時も主体的なオンナである。コスパよくタイパよく、意味のあることをする。彼女は行動に打って出る。人生はゲームではない。現実逃避しても結局、現実を生きなければならないと分かった。彼女は「生きて」みたくなったんだろう。自分のままの姿で。ロールプレイングせずに。

ミシェルは、レイプ犯と新作披露会の会場を後にする。車の中で彼に問う。運転しているのはレイプ犯だ。ハンドルを握る=主導権を握っているのは彼、という空間で、ミシェルは彼にどれほどオンナを加害してきたのかと問う。そして「警察に言う」という。それが彼を怒らせるということも知っている。彼はオンナに拒絶された時にだけ、勃起する男であることも分かっている。

車を降りたあと、事態は急展開する。彼女はどうなるか、分かっていただろう。だから自宅の門も、ドアも閉めようともしなかった。

ミシェルの内面は、一度だって語られない。この映画にはモノローグがないし、ミシェルは表情や仕草に感情を決して出さない。彼女は、永遠に「わからない人物」である。

後編では、ミシェルがあんなにも見限ってきた警察=システムをなぜ「使える」ようになったか、彼女はどうして反抗からも自由になれたのか、監督はなぜこんなにも主人公を「共感できない」ように演出したか、について考察する。

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