ホームフル・ドリフティング 19

♯19 神田アクアハウス江戸遊
 
 
 秋葉原駅と御茶ノ水駅の間に「神田アクアハウス江戸遊」というスーパー銭湯があって、よく利用していた。事務所から歩いて一〇分もかからなかったし、サウナもあったし、朝八時まで営業していたし、安くて便利だったのだ。その江戸遊が、九月末に閉店してしまった。どうやら跡地には新しいスーパー銭湯ができるらしいのだが、それでも何となくさびしい。
 東京のあちこちに遍在するわが家のバスルームのなかでも、江戸遊は利用頻度の高い場所のひとつだった。お世話になったという気持ちもあれど、どちらかというと少し悲しい思い出の方が多く残っているのだけれど。熱中症になりかけて体が熱くてどうしようもなく、仕方なしに水風呂でも入るかと訪れたら暑さで設備が壊れてぬるま湯で涼むことになる、とか。どこかの野球部が大挙して押し寄せたことで満員になってしまい、フロントでぼんやり待ち続ける、とか。
 江戸遊がなくなったことでぼくが利用できるバスルームはひとつ減ったが、なんということはない。少し歩けば事務所の近くにはほかにも銭湯があるし、シェアサイクルに乗ればもっとリッチなサウナにだってすぐ行ける。バスルームを無数に分散させることは色々な場所でお風呂に入れることを意味しているのだから。って、単にあちこちに銭湯があるだけで、ぼくが何かをしているわけでもないのだが……。
 流行りの「シェアリングエコノミー」や「サブスクリプション」は、こうした機能の分散をさらに加速させている。シェアサイクルのサービスに加入することでわたしたちは数百台の自転車に乗れるようになるし、サブスクリプション制のジムに加入すれば東京のあちこちで筋トレすることだって可能だ。音楽や映像の配信からよく知られるようになったサブスクリプションという方式は、今後もさまざまな領域へと広がっていくだろうし、あらゆる場所であらゆるサービスを享受できるようになっていく。
 ただし、その動きは一方でわたしたちがオーナーシップを失うことをも意味している。わたしたちは数百台の自転車に乗れるが、どれも自分のものではない。わたしたちが手にしているのは利用権であって、所有権ではないのだから。近い将来、家具や家電さえもサブスクリプションで利用する日が来るかもしれないが、そうなれば自宅の中にあるものでさえ自分たちのものではなくなるだろう。もっとも、自分が所有している土地や家に住んでいるのでもないかぎり、あなたの家はあなたのものではないとも言えるのだけれど。
 ホームフルは「家」の機能を分散させ、遍在させることで、所有の不確かさを浮き彫りにする。だからホームフルを加速させることは、皮肉にもホームレスを加速させることなのかもしれない。身軽になることは、多くのものを失うことだ。それは果たして、悲しむべきことなのだろうか?

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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