土の上 34
宮崎信恵
春一番が吹き荒れた日、おいちゃんが亡くなったとの報せがあった。おいちゃんとは父の兄、つまり叔父さんのことだ。おいちゃんは三重県で妹である叔母さんと同居していた。昔は祖母もいて、長い休みになると家族で家に遊びに行くのが常だった。家族で旅行に出かけることはほとんどなかったけど、この帰省が私たちにとって旅行のようなものだった。皆で車に乗り込み、高速道路を何時間も走った。住んでいた滋賀や兵庫、大阪からは長くて四時間くらいだろうか。当時はひたすらに長く、アメリカを横断しているかのような気分だったけど、今は年に何度もそれ以上の距離を自分で運転している。後ろにひとりで座る娘も、永遠のようなドライブを記憶に残すのだろう。
小さい頃、釣り好きだったおいちゃんに連れられて、早朝の海に釣りに出かけたことがあった。おいちゃんは仕事の日以外はいつも家にいる印象が強かったけど、実は早朝に一人でよく釣りに出かけていた。家のある山から海までは少し距離があり、車酔いしながら港に向かった。そこで、おじさんたちに混ざって釣り糸を垂らし、魚を釣り上げる楽しさを知った。この時のことは、大人になった今でも心に残る楽しい思い出だ。一緒に釣りに行って、おいちゃんの知らない一面を知ったような気がした。
無口で穏やかで、ふざけるようなことはあまりなかったけど、たまに大きな体で柄にもなく踊ったりして私たちを楽しませてくれた。一緒にボウリングに行ったり、ジャスコで食事をしたり、下宿していた頃にはよく畑でつくった野菜を送ってくれた。大変だった時期には野菜の下にお金の入った封筒を忍ばせてくれていたこともあった。何匹も猫を飼っていて、中学生の時に学校に迷い込んだ猫を無理を言って引き取ってもらったりもした。記憶を辿ると色々な出来事が思い出されて、胸に込み上げてくるものがある。
祖母が亡くなってからは家を訪れる機会も減り、前に会ったのはもう五年も前だった。近年は何度か心筋梗塞で倒れたりして、もう先は長くないだろうと覚悟していた。お見舞いに行こうとした時には無理して来なくていい、と言われてしまい、結局一度も行かなかった。無理じゃなかったんだし、会いに行けば良かったのに。
直接関わることは少なくても、その存在が自分の力になっているような人がたくさんいる。おいちゃんも自分にとってそういう人だったんだよなぁと思う。つい、いるのが当たり前になってしまって、その存在の大切さを忘れてしまう。
明日の朝、別れの旅に出発する。寂しいから、走る道がアメリカを横断するくらい長くたっていい。
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《著者プロフィール》
宮崎信恵(みやざきのぶえ)
1984年徳島生まれ。
STOMACHACHE.として妹と共に雑誌などのイラストを手がける。
その他、刺繍・パッチワーク・陶芸・木版画・俳句・自然農を実践する。
http://stomachache.jp
http://nobuemiyazaki.tumblr.com