トーチ

2020年3月3日 火曜日

日々雑感

こんにちは。中川です。中央線に乗っていると中野付近ですごい揺れるところがありますよね。

このあいだ電車に乗っていたらそこで派手に転びました。私はその時すごく腹が減っていたので、右手にまるごとソーセージを、左手にジョアを持ち、立ったままむさぼっていました。吊り革にも手すりにもつかまっていませんでしたから、転んだというより後ろにふっ飛ばされる感じでした。

大げさに言っているわけではありません。あそこは本当にすごい揺れるのです。心の油断とふとした体重移動が突発的な揺れに重なり、モッシュ・ダイブというのでしょうか、座席の乗客たちの膝の上に身を投げ出す格好になりました。小さな悲鳴が方々で上がりました。

乗客たちは私が貧血か何かで倒れたと思ったようで、みんな心配してくれました。放り出されたパンとジョアをスーツを着た若者が持ってきてくれました。本当にすみませんでした。

電車の揺れを侮ってはいけませんね。私はジャズについて何も知らないのですが、マイルス・デイヴィスの「ビッチェズ・ブリュー」をわけわかんねえなと思いながらも頑張って毎日聴いていた時期がありました。ある日、帰りの電車でいつものようにわけわかんねえなと思いながら聴いていると、荻窪を過ぎたあたりで急に音楽が身体に入り込んできて、え、なにこれ、すご、やば、超きもちい、体が自然に揺れるんですけどと恍惚としているうちに降りるべき駅をはるかに乗り過ごし終点まで行ってしまいました。そこは日野で、私がホームに降りると同時にすべての電車が終了、暗くて絶望しました。

一軒だけマッサージ屋の明かりが灯っていたので入りました。60分4200円で指圧をしてもらいました。終了後、店のおばちゃんがエッチなの要るかと言いました。要らないと答えました。始発まで寝てくかと言ってくれたので、そうすることにしました。深夜2時。ベニヤ板で仕切られた簡素な個室で暗い天井を見上げていると、ああマイルス……電車での恍惚が思い出されました。あれはいったい何だったのだろう、もしかしてあれがスウィングというやつなのだろうか。それまでわけのわからなかったものがなぜ突然……もう一度聞いてみました。しかし何も起きませんでした。エッチなの要るか? ベニヤ板の向こうから再びおばちゃんの声がしました。要らないと答えました。

私は踊りというものがとても苦手で、人前で踊るとか考えられないほうです。しかし日野まで行く電車の中で私はそんなことも忘れ上手に踊っていたように思うのです。その後も「ビッチェズ・ブリュー」を聞き直し続けましたが、何度やってもあの時のような恍惚が訪れることはありませんでした。なぜ、あの日あの時あの電車だったのか、いまだにわかりません。音楽と私に偶然シンクロした電車の揺れが私の体を躍らせてくれたのだと思います。電車の揺れに感謝しています。

学生の頃一度だけクラブに行ったことがあります。横須賀の防衛大学校でフルメタル・ジャケットそのものの過酷な日々を送っていた友人に貴重な外泊許可が下りたので、国分寺のクラブに連れ立って行ったのです。彼に娑婆の空気を味わってもらいたくてそうしたのですが、私も彼もクラブなど初めてで踊るとかできないし、踊らぬなら何をすればいいのかもわからず、酒を飲むにも緊張して注文ができないしで、2人でひたすら交代で便所に出入りするつらい時間を過ごしました。もう限界だよな、だよな、というアイコンタクトののち、そそくさとアパートに逃げ帰った私たちは、土曜の夜だったのでランク王国を見て寝ました。

翌朝駅前のパチンコ屋へ行くと2万円くらい勝ったので二人で天丼を食いました。友人はこんな美味いもの宿舎では食えんと泣きながらかきこんでいました。無理してクラブへなど行かず、最初からパチンコに行けばよかった、悪いことをした……横須賀に帰っていく彼の背中を見送りながら思いました。2万円勝ちましたから、二人分の天丼代を差し引いても1万5000円以上が手元に残りました。私はそのあぶく銭を握りしめ新宿の伊勢丹に赴き、高い洋服屋で真っ白なシャツを購入しました。学生にとってはというか今でも普通に1万5000円のシャツは高級品ですが、あぶく銭だからと適当に溶かして終わるのではなく、あぶく銭だからこそ何かこう「これ」というものに換えて手元に残すのが粋だと思った。

私はそのシャツをとても気に入り、ことあるごとに着て出かけました。私はラーメンが好きなので、ラーメン時にお気に入りのシャツに汁が飛ぶことについては悩みました。ラーメンも食べたい、しかしシャツも着たい。紙エプロンをすればシャツは汚れないが、せっかくのシャツが隠されてしまう。

汁を飛ばさずにラーメンを食べなければならない。どうすればいいか。仮説・実験・考察を繰り返しました。丼に箸を入れ、口に運び、すする。一連の過程をつぶさに観察してみると、汁がシャツに飛ぶのは、丼に箸を入れた時でも口に運んだ時でもすすっている時でもなく、麺をすすり切る最後の瞬間だとわかりました。その瞬間においてのみ麺先が暴れ、その「麺先の暴れ」が汁を飛ばしている。逆に言えば、この瞬間さえ乗り切ることができれば、つまり「麺先の暴れ」さえ封じることができれば100%防ぐことができる。
それにはたった2つのことだけやれば良い。

(1)麺をすする位置を極限まで低める(口と汁面の距離をゼロに近づける)
(2)麺先を最後まで箸で押さえる

(1)を実践するだけでもほぼ無傷で店を出られます。

そんな風にして私はお気に入りのシャツを着てラーメンを好きな時に好きなだけ食べられるようになり幸せでしたが、そのうち太ってしまいシャツが着られなくなったのでモードオフに売りにいったら買取価格50円でなんだよと思ったのを覚えています。

(編集部・中川)