今井新『ああ資本主義の悪の華はいつまで咲き誇るのか。』第1巻が刊行された。
第5回トーチ漫画賞で「榎本俊二賞」を受賞した今井さんにとって、初となる連載作品だ。
検索欄に、何の意味もなく「あ」と打ち込んでみたことのある人は、少なからずいるだろう。「あ」と打つと、予測欄の一番上には「アマゾン」と出る。次に「ああ」と打つと「あああ」。「ああし」まで打ち込むと「ああしらき」(芸人・あぁ〜しらき氏の知名度の高さに驚愕)。
そうして「ああしほ」と打ち込んでみると、「ああ資本主義の悪の華はいつまで咲き誇るのか。」という嘆きの声が、突如として予測欄の一番上に出現する。(2026年9月現在)
「ああ資本主義の悪の華はいつまで咲き誇るのか。」
これは、明治36年に青森県弘前市に生まれた詩人・杉沼秀七が戦前に記した詩「飛行場」の一節である。
本作は、作者・今井新さんの曽祖父にあたるこの杉沼秀七が、物語の核を担う。タイトルをはじめ、作中の随所に登場する詩や言葉は、秀七が実際に遺したプロレタリア詩から引かれている。物語の奥には実在の人物や、戦前から戦後へと続く史実が埋め込まれており、展開の鍵となっていく。戦前日本に秀七が記した「ああ資本主義の悪の華はいつまで咲き誇るのか。」という言葉が、およそ100年もの時を経て、ひ孫である今井さんの漫画を通して、再び私たちの前に現れる。

国際交流施設「暗闇会館」で働く司書・田名部咲は、ある日、地下書庫で謎の声を耳にする怪異に見舞われ、意識を失う。それをきっかけに、会館の地下に広がる奇妙な空間と、戦前から戦後にかけて隠されてきた出来事をめぐる謎へと足を踏み入れていく。
咲とともに行動するのは、暗闇会館の同僚であり杉沼秀七のひ孫にあたる記録士・杉沼瞬と、バーテンダーとして勤務する岩木せいら。怪異の謎を追う咲、埋蔵金を求める瞬、そして自分を変えたいせいら…それぞれ異なる目的を持つ三人は、やがて一冊の詩集に導かれていく。
✴︎
2025年1月17日、今井さんが本作の企画を携え編集部を訪れたとき、持ち込まれた膨大な資料と共に、その手には杉沼秀七の詩集があった。
そこに書かれていたのは、貧しい暮らしや、労働の苦しさ、社会への怒り…およそ100年前に書かれた詩でありながら、私にとっては資料として距離を置いて読むことが難しいほど、秀七の言葉は生々しい切実さで満ちていた。ページをめくると、当時の検閲によって所々が「×××」と伏せられている。そこで確かに上げられたはずの声は、私には聞き取ることはできないが、言葉を奪われた不自由さの向こうから、秀七が抱えていた自分たちを虐げる社会への闘争心が、当時の純度そのままに胸へ突き刺さってくるようだった。
詩集を出発点に、今井さんとの連載企画が始まった。

作中で咲たちが秀七の謎を追うのと同時に、現実世界では、今井さんもまた秀七の痕跡を追っていく。あちらとこちらは、フィクションと現実という壁で完全に隔てられているわけではなく、どこかで互いを映しながら、並行して進んでいるようだった。そして、暗闇会館の図書室から始まったこの冒険は、いつの間にか「私たちの世界」へと繋がっていく。三人が謎を追えば追うほど、会館の地下に埋もれ、戦前と戦後の継ぎ目に消えていった、声なき者たちの「詩」が聞こえてくる。杉沼秀七が見ていた世界と、私たちが生きる現代。その二つは遠く隔たっているようでいて、忘却された歴史の底から伸び続けてきた根は、悶えるように地中で絡み合いながら、いまを生きる私たちの足元にまで達している。
これから単行本を手にするあなたも、杉沼秀七の詩集に導かれた人間のひとりとなっていくのだ。

この夏、出張で北米を訪れた際、イベント会場や現地の書店で「ARATA IMAI」の名に幾度となく遭遇した。今井さんの過去作『F』、そしてトーチ漫画賞で榎本俊二賞を受賞した『フラッシュ・ポイント』は、ワシントン州を拠点とする出版社・Glacier Bay Booksから英訳出版され、すでに多くの読者を持っている。
現地で自己紹介をしなければならないとき、「日本のリイド社という出版社の、トーチという漫画レーベルの編集者をしていて…」と話すなかで「今井新さんの連載も担当していて」と続けると、「IMAI!!!!!」と感嘆を受け一気に打ち解ける…という嬉しい瞬間がたびたびあった。今井さんに感謝である。

前述の二作品は、日本ではいずれも今井さん自身の手によって発表された自主制作作品だった。今井さんのプロ漫画家としてのデビューの地はアメリカということになる。出版企画を立ち上げ翻訳を手がけたのは、私の友人でもある漫画研究者・翻訳家のライアン・ホームバーグ氏だ。
3.11後の東北を舞台にした『F』(邦題『アイアムジョンキャントリー』)、そして安倍晋三銃撃事件を題材とした『フラッシュ・ポイント』。この二作を通じて今井さんは、国外にいる、新たな漫画表現を求めて目をコヨーテのごとく光らせているコミック・ファンたちの心を、確実につかんでいた。北米で出会った彼ら/彼女らは、IMAIの新作をみな待ち望んでいた。
遠くない未来、杉沼秀七の詩はARATA IMAIの背に乗って、海をわたるだろう。およそ100年前、検閲にさらされた言葉の数々はふたたび本となり、秀七が予期しえなかったかたちで、新たな読者のもとへ届いていく。
現在トーチwebでは、第2巻に収録予定のエピソードも公開中。第1巻をお読みいただいた後は、ぜひその先も連載を追いかけていただければ嬉しく思う。
今井さん、第1巻刊行、おつかれさまでした!
担当編集 エ⭐︎ミリー吉元
『ああ資本主義の悪の華はいつまで咲き誇るのか。』第1巻(紙・電子)販売ページ

第1巻を手にするライアン・ホームバーグ氏。
2026年9月3日(木)22時48分、The Biltmore Los Angelesにて筆者撮影。
