トーチ

2021年12月27日 月曜日

第3回トーチ漫画賞 最終選考

このたびは第3回トーチ漫画賞へのたくさんのご応募ありがとうございました。結果発表まで大変お待たせしてしまい申し訳ありません。
賞の発表ページの他に、こちらでもテキストの形で最終選考の審査評の様子を公開いたします(テキストの内容は同じです)。画像がもっと見たい方は賞の発表ページからご覧ください。
【準大賞】と【山田参助賞】の作品は近日公開されますのであわせてお読みいただければより楽しんでいただけるかと思います。

 

【準大賞】

『蟹を食べる』野口明宏

彼女にフラれたばかりの沖の家に、蟹を持って訪ねてきた友人たち。蟹鍋を楽しもうとした青年3人を襲う悲劇とは。ごくごく狭い部屋で起こるわちゃわちゃホラーコメディ。

●山田参助  『蟹を食べる』は大変楽しく読みました。上手なシナリオですよね! 絵も達者だし、漫画アシスタント経験があるということを踏まえても大変玄人っぽい。そしてこの人しか持っていない珍しい部分というのが、男の子がなんか可愛い!ということですね。ここには萌えがあるぞ、どうしたことだ、とびっくりさせられました。このノリは明らかに変で面白い。男が三人出てきて三人ともかわいいというこの感じはちょっと珍しいんじゃないでしょうか。いわゆるBL作家の人がこういうのを描いたら、かわいくはなるんだろうけどこの三人のパワーバランスとはちょっと違うものになると思うんですよね。誰かがサブキャラになるのでなく、三人ともみんなキャラが立っていて、うち二人がおもに萌え担当である、というバランス。
この変さとパニックものとしての流れのうまさは、分析するより前に、ナチュラルに身を任せてしまえる感じがあって、近年のエンターテイメントの気分が出ていると思いました。現代の作家だなと思いますね。そこで考えたのは、例えばこれが実写映画だったとしてもこの男の子の可愛さや萌えみたいなものは出せないということで、そこは漫画独特のものだな。
何が笑ったって、「シャワー借りるね」っていきなりシャワーを借りるこのシーン。男の子が裸で倒れてるカットをやるためだけに「シャワー借りるね」というセリフがあるんですが、「なんで急にシャワー借りるんだよ!(笑)」と思って読むと、「ああ、ホラー映画演出の定番であるところのシャワーのシーンが欲しかったのか」と。ちゃんと狙ってやってるんだろうけど、その変な展開のやり口のナチュラルさ、「何だこりゃ」と引き込む力は怖いものがあるなと(笑)。ハムスターの使い方とかも最高ですよね。こんなにハムスターが関わってくるとは思わなかった。また、テレビの後ろにカニが隠れて、その間ずっとテレビでレバニラ炒めの作り方をやってるといった、この映画的な流れなどもほんとに上手で素晴らしいですね。面白いなあ。正しいパニックホラーだなあ。
この方は今後もどんどん上手くなるだろうし、「センスがストレンジで面白いのでどんどんやってください」という感じです。異色の作家で、これからに期待しています!

●渡辺ペコ  絵がすごく上手なので、漫画の絵を描き慣れた方の作品だなと思いました。いろんな角度をガンガン使って描くのがすごいなと思って。私はそれが苦手なので、まずそこに目がいって感心しながら見ていたんですけど。
で、読み終わってから思ったんですが、普通なら女性に割り当てられる役割を男性にして、男性三人の話にしてあるわけですが、若い男の子三人なのにホモソーシャルっぽくない、ソフトな関係性で。お互いちょっと気遣ったり、お料理するよって流れが自然だったりとか、そういうやりとりを見るのが私はけっこう楽しくて、しかもそのなかで、このハムスターがどんな存在なのかであるとか、後ろに続く伏線をきちんと置いていっているなと思って。絵も構図もお上手で、伏線を置いて物語を32ページの中で緩急をつけて、バトルの山場を置いて、最後少し違う怖さを置いて終わる、っていう構成も私はよくできていると思って、一番委ねて読めたというところがあります。総じて作品を見られることに対する意識の高さ、読者にエンタメとして提供するということがすごくできていると思って、そこに好感を持ちました。
個人的にはもうちょっとヒヤッとする怖さが欲しくって。最後に少しあることにはあるんですけど、バトル部分のパワー系の攻防というよりは、心理戦やゾワっとする怖さをもう少し見たかったなと思いました。ただ、好みとは別に、投稿作品としてまとまった完成度の高いものを作って見てもらうプロ意識のようなものを感じて私は好感が持てました。

●椎名うみ  私はこれを読んで、すごく良いけど惜しいなと思いました。冒頭の扉ページがまずすごくいいなと思って。この人の「よってらっしゃい見てらっしゃい」という拍手が聞こえる扉ページだと思いました。「はい、始まりますよ、見ていってね」という意志を感じるのでいいなと思って。
で、私は男の子の可愛さについてはあまり分からなかったんです。この萌えがちゃんとわかる人が見たらたぶん楽しいところだったと思うんですけど、これに関する萌えのアンテナがあまり分からなかった私が見ると、冒頭の男の子の会話のシーンは長く感じました。この漫画は、おそらくホラーバトルものじゃないですか。短編で「なんとかVSなんとか」っていうバトルものをシンプルにやる姿勢はすごく美しいなと思ったんですけど、この作品は、全部で32ページあるうち、大学生のまったりシーンに3分の1を使ってるんですよ。10ページ分。なので、私は、この冒頭を5ページにまとめて、すぐにカニの攻撃が始まっていたらすごく良かったなと思いました。そうでないと、「これは何の話だろう」ということを思っちゃうと思います。「今私が乗った船はどこに向かっているんだろう」という感じで行き先がわからないんですよ。行き先を見えない状態にして、実はホラーだというびっくりをさせたかったのかもしれませんが、「何の話だろう」と考えながら読むと、読者はそこに労力を使ってしまって、面白がる余裕がなくなってしまってしまう。「この船の行き先はここに決まっていて、安心して乗って良いぞ」って思うと、その先の面白い部分も消化しやすくなるんじゃないかと思うんですよね。
それで、カニとのバトルをシンプルにやっていくところは絵の面白さもあるしすごく良い。でも、けっこう力技でがんばって倒している印象を受けます。がんばって倒している最中のカタルシスとかで読ませていくことも全然ありだと思うんですけど、バトルものって「どうやって倒したか」っていうことが大事なんじゃないかなと思うんですよね。なので、そこにもう一工夫おいてもらえるとすごく安定するんじゃないかなということを思いました。あとは、絵がかわいい。ハムスターがすごく可愛い…。以上です。

●山田参助  僕が思うのは、バトル部分を長くすると、バトルをすごいがんばって描かなくちゃいけなくなっちゃうので、バトル漫画のスキルが高くないと、かなり大変になっちゃうのかなと。ホラー映画っぽく考えると、最後のハデなパニックシーンの前のパートでやるべきことがこの作品では丁寧にきちんとやられているので、僕はそれで楽しめちゃうなあ。ホラーによくあるシャワーシーンや、ベッドシーン、これは濡場中に襲われるハムスターですね。そういう要素をちゃんと入れている。でも、椎名さんのはとても細かい分析で面白いですね。

 

【山田参助賞】

『彼岸花』青色ひよこ

緊急事態宣言下のある街で女が橋から飛び降りた。90年代を生きたパンク少女たちは、40代の今をもがきながらある顛末へと転がっていく。白と黒で描かれる、痛みに満ちた青春とミドルエイジ。

渡辺ペコ  これは、私は一番わからなかった作品というか、一番読むのが辛くて、ついていけないまま最後まで読んでしまった作品でした。絵がかっこよくて画面構成も上手なんですけど、私はこの主人公の方が好きになれなくて…。かっこいい漫画ということは認識できるんですが、この「かっこつけたかっこよさ」に弾かれてしまったところがあって、なぜここまでかっこつけるのだろうという、意図がどうしても捉えきれませんでした。このかっこつけの休みやヌケがいつ来るかな、と思ったらそれがなかったという印象です。逆に言えば全ページ全コマにこの方の思うかっこよさが詰まっているんだと思います。絵が上手なのは伝わるんですが、このスタンスや言葉の感覚がどうしても理解できず…すみません。主人公の方が同世代同性なので余計に違和感が強かったです。

椎名うみ  私もこれはわからないジャンルだったんです。全部がCDのジャケットみたいにかっこいいおしゃれな感じ。このジャンルはわからないなと思いつつ読んだんですけど、読んでてすごいなと思ったのが、「かっこつけてないところがない」というところです。終始かっこつけをやめずに描かれていて、その気概がとんでもないと思いました。執念のかっこよさだと。セリフも全編が詩のようで、ずっと歌っているみたいなシラフじゃない感じ。今まで主人公の身に起こってきたことが全て美しい走馬灯のようになっていて、そこに酔いきっているような感覚がありました。それはみじめさやダサさ、情けないところまでかっこつける、という徹底ぶりで、作者の方が「かっこつける」ということを愛しているんだなということがすごく伝わってきます。そういう、なにかに対する強い愛情や意志は誰かの心を打つと思いましたし、作品として見世物をしっかり作っているという感じはしました。

山田参助  なるほどー、そういう感想なのか。僕にとってはこの作品はナチュラルに入りすぎて、逆にどう語っていいかわからないような作品なんですよ。「ここがよかった」とか「ここをもっとこうしたら」とかすら思わないくらいに普通に読書してしまいました。なので選考めいた言葉にならず、申し訳ない思いです(笑)。
で、僕はこの作品が一番好き、素直に「カッコイイ!」と読みました(笑)。ただ、僕はかっこつけているという印象は持たず、平熱な表現と捉えていますが、劇的に大げさなものに見えるのかな。
90年代を綴った話ということで、40代主婦である作者と近い世代の僕は、ここで描かれているグランジとかは全く通っていなくて、これらの音楽についての知識はほぼないんですけど、「男から読む女たちの物語」として、こういう女性が存在してほしいな、と思うような物語でした。「かっこつけている」と言っても、明らかに無理しているかっこつけであって、17歳でパンクに目覚め、人生を壊してはいるけど今さらそれをやめるわけにはいかない、というこの感じをつい応援してしまうわけです。また、この主人公だけなら鼻持ちならないのかもしれませんが、仲間や、若くして死んだ友達の存在がまた効いていますし、「次会うときは墓場で」と言って別れた後に本当に友達の墓参りに来る、といったギャグにもグッときます。40代の女性が生活の中でなにかを後悔し続けているという、その自分語りの仕方に僕は全く嫌な感じがしなかったですね。なぜそうならないかというと、ところどころに入るギャグが効いているからだと思います。全体に、日本的じゃない感じだけど明らかに描かれているのは日本、というバランスもいいですね。その点は確かに庶民的なものを一切拒否しているという点でのかっこつけはあるんですが、そのレベルは相当高いものだと思います。
この作品内の言葉の感覚も、字幕を読むようなものなので、僕は大丈夫というか好きでした。これは翻訳調の字幕感覚のセリフであって、音読するセリフじゃないんですよ。なので、これが台湾とか韓国とかで映画化されるととっても素敵な映画になって、素直に「フゥ~!」と観れると思います(笑)。翻訳ものだと思って読むという作業が必要かもしれませんね。でも、90年代とか00年代初頭のスカした漫画に比べたらこれは全然ニコニコ読めますよ! 僕は90年代のこういう感じの漫画がけっこう苦手で、そういうのって「何も考えてはいないけど、とにかく今を生きるだけ」だったり「明日のことはわからないけど、今はこのアイスクリームを最後まで食べることだけ考えようよ」といった、どうでもいいことを描いているのに絵はかっこいい、というものが多くて「なんと鼻持ちならない世界だろう」と思っていたんですけど、この作品ではちゃんと後悔があって、その後悔がありつつも「だからってこのスタイルをやめるわけにはいかない!」というどうしようもない束縛感、やりなおしのきかなさが描かれています。90年代を通ってきた人が誠実なことを綴っている、その感じがまさに今ジャストな物語になっていて、90年代から考えると「ああ、こんなに読めるところまで来たんだ!」と大変頼もしい思いがしました。
後半、40歳処女の親友が酒に酔った勢いで処女を奪われずにアナルを奪われそうになるという展開も、なんと気が利いていることであろう、と僕とかは思うんですけど(笑)、なかなかこういうことは思いつかないですよ。
40代なんだけどガールズもの、として僕は大変楽しみましたし、まだまだ続きもあるようなので「今すぐ本にしてください!」という感想です。トーチはすぐにこの作品を連載すべきです。山田参助賞となるのに異論はないですが、僕はこの作品が圧倒的によかったですし、大賞にふさわしい作品だと思っています。みんなに読んでもらいたいですね。

 

【入選】

『モノ』御忌ろうち

人間たちの時代が終わり、動物たちが暮らすこの世界では「モノ」と呼ばれる生物があらゆるものの素材として使われていた。そんなモノの研究施設で行われたある陰謀によって取り返しのつかない悲劇が起こる…。

●椎名うみ  この作品は、私は今回だと二番目によかったです。SFもので、物語の材料と物語のテーマが明確にシンクロしているものだと思うんですけど、この「モノ」の概念が面白いなと思ったんです。これは見世物になるなと思って。
で、作品中では「モノ」のありように対して倫理的な議論がキャラクター間で行われるシーンが多いんですが、この倫理的な話し合いの比重を下げて、モノをもっとエンタメとして消費するというか、モノの魅力や面白さにフォーカスを当てて、モノが引き起こす事件などのエピソードをもっと出すといいかなと思いました。なぜかというと、漫画におけるテーマとかメッセージってとても大切なものだと思うんですけど、読者がそれを求めて読むかというと、ほとんどの読者はそうは読まないと思うんです。説教されるために漫画を読むのではなくて、漫画を楽しみたくて読んでいるので、楽しんでいる最中に大事なメッセージがある、くらいの比重のものが商品になるんじゃないかと思います。この作品の場合には、モノという概念が魅力的で面白いアイデアだったので、そこにもっとスポットをあてたらもっとよかったなということを思いました。
で、たぶんこのモノというものの魅力、恐ろしさや面白さとかそういうものが際立つエピソードを大きく取り上げてスポットライトを当てていくと、自然と倫理的な話にもなってしまうと思うんですよ。はじめから倫理的な話をしようとして、一本の話として成立させようという作者の思いもわかりますが、そこに意識を持っていかなくても、モノの方に意識を持っていけば自然に話はまとまっていくので、そうしたらいいんじゃないかなと思いました。

●山田参助  素晴らしい切り口ですね。モノにスポットを当てるというアイデアはとても建設的だと思います。
私の意見は、もうちょっとウェルメイドにしてほしいというか、客を置いていくくらいに難解な、「なんかこの人たち難しいことばっかり言っててよくわかんないな」というくらいの漫画でもいいんじゃないかなと。私はそのくらいの方がしっかりしたものを読んだ気持ちになるんじゃないかなと思っていたので、モノにもっとスポットを当ててエンタメにしようというご意見には「あ、そういう手もあるのか」と面白いと思いました。そこで気がついたのが、この作品は骨格はめちゃめちゃしっかりしているので、ある部分をすごく引き伸ばしたり、あるキャラクターにスポットを当てたり役割を与えたりするということがまだまだできる、すごくいいたたき台の物語だということです。たぶんまだお若いので、もう少し薹が立ってくると、少し面倒臭いようなこととかも入れられるようになってくると思います。
僕が食い足りないなと思ったのは、モノの研究所の中だけで政治的なことが行われていることですね。やっぱりこういうものは国家事業などに関わってくるはずなので、政府の思惑と研究所のトップの思惑と研究者の思惑がそれぞれあって、そこで衝突が起きるという話にしてほしいわけです。なので、所長なんかは、ここに出てくるアリのようにすごく独断で支配者然として振る舞うのではなくて、もう少し管理職っぽい言動や、海千山千っぽい感じのほうが逆に読みやすいかなと。たぶん作家の方としては、そういう面倒なところをもっとシンプルにして、研究所の中だけでパワーバランスを描いた方がわかりやすいと判断されたんだと思うんですが、そこはわかりやすさより、ちょっと面倒臭いものが読みたい人のための設定が向いているのではないかなと僕は思いました。また、もしわかりやすい方に振るなら、もう少しわかりやすいキャラクターを使って、例えば野心ある若者の研究者と組織に従う上司との衝突であったり、個人的な物語を盛り込んだ方が読みやすいんじゃないかと思います。
読んだ際のメモを読みつつまとめると…もう少し大人っぽい、組織を描いたシナリオにしてほしいと思いました。研究所の中の人がすべて決めすぎなので、政府とか人権団体とかが出てくると、最後に主人公の中のモノが暴走する事件も、「研究所の実験の事故として処理される」といった社会派な引いた物語としても描け、無菌室的な空間で起こったちょっと怖いことといった感じの美しさもでるのではないかと思います。また、それぞれのキャラクターにエゴがありすぎる感じが、わかりやすいけど逆に乗りにくいという感じがありました。ただ、絵はすごい達者で、動物の描写とか大変よかったですし、どんどん上手になっていく人だと思います。ラストのモノの暴走シーンもけっこう盛り上がってドキドキしながら読みました。この話をもうちょっと温めて、もう何年かしてからもうちょっと長い話にするといいんじゃないかなと思います。
色々と漫画としてグッとくる美点が多くて、特にビジュアル的な魅力が多いと思います。まだまだ描写が足りないなと思うところもあるんだけども、どういうことが描きたいかがなぜか伝わる絵をしているので、たぶんこの人はもっと絵が上手くなる人だと思います。最後の暴走シーンも絵があっさりしているけど、どういう危機的な状況が起きているのかがなんかわかるんですよ。これはたぶんコマ割りのセンスがあるからだと思うんですよね。
足りないとしたら、キャラクターの思いを全部言いすぎだったりと、ちょっとセリフが幼い感じがする。なにがしかを思っている人が各場面でどのような言葉を言ったら象徴的か、というようなことを整理してセリフを書くことが必要かなと思います。

●渡辺ペコ  テーマとか着眼とか発想、そのあたりがすごく面白くて、それに色々な要素を入れて構成するところなど、すごくよく考えられているし、描きたいことがたくさんあってそれらを全部入れているんだなと思うんですが、私の感覚からすると、初めて読む知らない人のSFの作品を75ページ読むのはかなり大変だったんですね。例えば選評じゃない場面でこの作品があった時には、私はたぶん読めないと思います。私は個人的には倫理観を問われる作品がすごく好きなので、この作品の、つきつけられるような部分はすごく面白かったですし、生命倫理といったテーマも今っぽさもあっていいなと思ったんですが、やっぱりもう少し整理されていてほしかったです。私の乏しいイメージなのかもしれないですが、SFって洒落ていてほしいというか、粋でないと厳しいものがあるんじゃないかとも思っていて。
もしこの作品に対してアドバイスを求められたとしたら、「例えば32ページで読める形に構成して、そこに入らないものは一旦削ってみてほしい」と言うと思うんですね。32ページ、あるいは24ページというのは一般誌だと雑誌に描く時に基準のページとなることが多くて、多くの作家さんはそのページ数の中で作品を作るということをずっとやっていくことになると思いますし、そのなかで何を入れて何を捨てるかという訓練が大事だと思っています。描きたいことを全部描いたら75ページになりました、というのはトーチ漫画賞の応募要項においては正解なんですが、本当に描きたいところはなんなのかという優先順位をつけて整理して、それを32ページとかでスパッと見せてもらえたら、私はもっとすごく集中して楽しめただろうし、作者の方がこの世界のなかで何が大事なのかを突きつけられたんじゃないかなと。枠を想定して作るということがすごく大事になると私は思っているし、自分で癖になってもいます。なので一定のページで収まりのいいという作品を私はすごく評価するんですよね。萩尾望都先生が16ページの短編でSFの豊かな世界を描ききっているであるとかも、極端な例ではありますけど、まとまったイメージを持つというのはすごく大事な気がしています。
描写に関しては、歯のアップなどの身体の一部の強調だったり、モノの痛みの描写だったり、そういう部分は迫ってくるものがあって好きでした。作者の方は若いし、絵も魅力的で、描きたいことがいっぱいあるというのはすごく強みだと思うので、長いものを描くための練習としてまずコンパクトな話を作ってみるというのがいいんじゃないかなと思います。
読み手がいるものなので、作品として読んでもらうためにはどういう工夫がなされているかというのは、今回の審査で指標になっているところではあります。その長さに読者を付き合わせるということについて、書き手はすごく考えるべきなんじゃないかなと私は思っています。長い話を読むのって集中力やエネルギーがとても必要だということを意識してほしいかなと。

●山田参助  僕はそういう意味では全然訓練をしていないですが、自分の体験としては、ページ制限のために入らないから捨てるという行為にある種の快楽があるというのは言えますね(笑)。入らないからセリフや展開を変えることで何かよくなるというよりは、仕事のための工夫として、入らないものを排除してきれいなものとして整えるという作業的な快楽はあります。一方で、ものすごい読みにくい、物量のあるものに対してフェティッシュな魅力を感じる読者もいるんじゃないかなという気持ちもあって。「タルコフスキーの映画を観て居眠りしたい」だったり、ものすごい長い小説を読んで「物量をこなすことこそ読書」みたいな人もいたり。ただし、漫画は読みやすくしてパッと摂取できるものとしてやってきたという歴史があるので、基本的にそこに正解はあるとは思いますが、Web漫画なので、ページ数をかけたものの方向も追求できるのかもしれません。

椎名うみ 私は、減らせば減らすほどよくなるとは思わないんですが、どの部分を減らすかというところに作者の意思が明確に現れるとは思います。

 

【入選】

『寄るべなき旅』奥西チエ

ロシアで最後の吸血鬼が死んだというニュースが流れた。美術教師の幸は友人たちと集まった夜、同級生の男が吸血鬼に襲われる夢を見たが…。
続き物をイメージした完成原稿1話分、プロット2話分での投稿。

渡辺ペコ  私は今回これが好きでした。私は自分が描けないようなやわらかい絵を見るのが好きなので、この鉛筆で描かれたような絵柄が好きですし、演出やコマ割りも見やすくて上手だと思いました。この主人公の幸さんのキャラクターも好みで、屈折していて怒りを持っているというキャラクターを、オーソドックスながら大事にして描いている感じがしました。
ただ、漫画として見るとこれも要素がトゥーマッチに感じました。幸さんという人の物語と、吸血鬼伝説と、吸血鬼である少年と幸さんの交流の物語、という三つの要素があると思うんですが、連載用に描いたとはいえ、3話分としてはちょっと多すぎるように思います。個人的な意見では、吸血鬼の設定はなくてもいいんじゃないかな。あくまで現代的な、幸さんという人の物語として描いても面白くできると思いました。
また、幸さんのキャラクターはいいんですけど、幸さん以外の人の扱いが雑になってしまっているようにも思います。幸さんに言い寄ってくる男性のキャラクターも、「成功者でバランスがいいようだけど実はそうではない」といったひねりが効かせるともう少し面白いキャラクターになると思いますが、現状では彼の悪い部分の見せ方がとってつけたような不自然なものになっていて、少年を活かすための当て馬のようになっているように見えました。この豹変は二面性にはあまり見えませんでした。
絵がすごく丁寧で、構図などもよく考えられているので、見てもらうことをしっかり意識されている方だなと思って、そういう点も私は好きでした。この方を応援したいし今後の作品も見てみたいです。
タイトルに関しては抽象的すぎるので、もう少し具体的に内容と結びつけて、かつ気持ちをひけるタイトルを考えてみてほしいと思います。抽象的なタイトルはあまりプラスにはならないように思います。

椎名うみ  私は、この作品が、今回の中でいちばん情報を伝える力に長けているなと思いました。「今どんな情報を読者に伝えたいのか」というのを伝えるのがお上手で、読んでいる時のストレス値がすごく下がるので、すぐにプロになれる方だなと思いました。絵もすごく可愛くて、しかも情報を伝えるという点で、余計な絵を描かず、ちょうど適切な過不足ない絵を描かれているのが好感度が高いです。あ、今見たらこの方は連載経験があるんですね。
で、この作品ですごく惜しいなと思ったところが、「縦軸」と「横軸」の比率です。「縦軸」というのは公的な出来事、この話だったら吸血鬼のエピソードで、それに対して「横軸」は私的な出来事、ここでいえば彼女のルサンチマンのエピソードです。これはざっくりした分類なんですが、基本的に物語は縦軸(公的な出来事)だけで構成するとエンタメ的に、横軸(私的な出来事)だけで構成すると文学的になります。けれどこの作品は縦軸と横軸の2つの軸が同時に進行していきますよね。で、私はこの作品に対して要素が多いとは思わなくて、ただ、なぜこれが「要素が多い」という違和感に感じるかというと、この縦軸と横軸が同時進行するとき、縦軸の割合が横軸の割合より少なくなってくると、縦軸が非常に「軽い」印象になってしまうんです。それで物語がバランスを崩してしまう。縦軸と横軸がバランスを失っているので、その作品を読んだ時に「この縦軸の要素、いらなくない?」となってしまうんですよ。横軸の重さに縦軸の軽さが負けるんです。だから縦軸と横軸が同時並行する物語を描くときは、縦軸を7、横軸を3くらいにして、内側の話を少なくすると、バランスがとれます。そしてなぜか、外側の話の進行に合わせて内側の話が連動していって、エンタメ的であり文学的である、深度の深い面白い話になるんです。
『ゴースト/ニューヨークの幻』っていう、死んだ彼氏の幽霊との恋愛映画がありますけど、『青野くんに触りたいから死にたい』を描く際に、これは教科書になるかなと思って一度観たんですよ。そしたら、予想以上にラブロマンスの部分が少なくて、本軸はサスペンスなんですよね。で、この映画の場合、横軸がラブロマンスだと思うんですけど、縦軸のサスペンスの方が比率が高いので、すごく安定して観ることができるんですよね。ただ、この縦軸と横軸の割合を5:5くらいに近づけると、ギリギリ成立するけど不安定な印象になるなというのが、実感としてあります。私はいま『青野くん~』でホラーと恋愛を5:5くらいでやっているんですけど、たぶんこの状態だと読者はかなり不安定な印象を持つんですよ。なので、本当は7:3くらいが一番安定感があると思っています。
で、『寄るべなき旅』の話に戻りますが、この作品は横軸(私的な出来事)のルサンチマンのエピソードが7、縦軸(公的な出来事)の吸血鬼のエピソードが3くらいのバランスで作られているので、この縦軸が軽くなりすぎてバランスを崩し、いらないように見えてしまっているんだと思います。なので私はこの話は今の縦軸と横軸の比率を逆にして、吸血鬼ものの方に比率を割いた方がいいと思います。で、それに私的な出来事である横軸(ルサンチマンの話)が追従して、なぜか縦軸がそれによって揺さぶられて解決していく、というつくりにするとすごくバランスのいい深みのある話になるんじゃないかなと思います。

山田参助  すごいロジカルな評ですね…すげ~~…! 私はですね、この作品はあまり感想が出ませんでした。美大出身の人の話だと思っていたら急に吸血鬼ものの比重がでかくなったという印象ですが、吸血鬼ものとしての道具立てがあまり秀逸じゃないと思ったんですね。確かに前半に「ロシアで最後の吸血鬼が亡くなった」という話が出てくるんだけど、やっぱり先ほどの評でも出た通りバランスの問題かなと思います。
読ませる部分としては、主人公のルサンチマンと美大生ものとしての細かな話などですね。そういった細部を丁寧に描いているので、例えば同期のお祝いの自宅パーティーとかが異常に丁寧に描かれていますが、そのせいで読者はそういう話だと思ってしまって、吸血鬼が出てくる隙がなくなっている気がします。先ほど、男性キャラが当て馬という評がありましたが、絵に没頭しすぎてずれた感じの男の子なのかなと思いきや急に自信満々な男の子になって、かと思ったら血を吸われてカラカラに…というこのキャラクターの展開は1話としてはだいぶ早い(笑)。せめて2話目くらいでもいいんじゃないかなと。夢で吸血鬼に襲われて、起きたらまた似たようなことが起こる、というモチーフもどの程度の意味があるのか気になります。
先ほどの評が完璧すぎて私はあまりいうことがないですが(笑)、最後に言うとしたら、導入の一番最初に出てくるセリフが「ったく 水くむのにどれだけ時間かかってんだ」というのは、明らかな悪手です。それでは惹きこめません。少し外した話から入るのではなく、素直に本編からスタートさせてもいいのではないでしょうか。

 

【以下 最終候補作】

『愛しの女王様に捨てられたと思ったら男になって戻ってきてくれた』祟りじゃ

性転換した元SM嬢は、常連客の青年と再び主従関係を持つ。プレイによる肉体と精神の交流。

渡辺ペコ  個人的に過激なBLにあまり慣れてないので、あんまり得意なジャンルではないと思うんですね。それでも、最後まで私は面白く読めて。肉体的な交流っていうか、セックスやプレイの部分は私はわりとスッと読んでしまうんですけど、精神的なものや言葉の攻防が私はすごい好きで。この二人の精神的なSMだからだと思うんですけども、そこの攻め受けの関係性がやりとりしながらちょっと変わっていったり、元女王様側の心情や素性、事情が明らかになっていったりという展開が私はすごく面白く読めました。
私が個人的に良かったのは、元女王様のセクシュアリティとか肉体の変化っていうもの。この作品には、二人の肉体的な接触のやりとりと、精神的な交わりと、女王様個人の事情という三つの要素があるかと思いますが、私は、精神的な二人の攻防と女王様の事情というのに個人的に興味を持ちました。特に自分の身体違和を抱えていながらSMの女王様をやっていた、みたいなところはすごく面白くて、もっとこの人のことを読みたいなと思いながら読みました。
また、プレイを重ねていくなかで、終盤に元女王様の彼の態度や言葉が軟化して、見た目は同じようなプレイを繰り返してるように見えるけど違ったものになっているというのが形として綺麗に見えて面白いなと思いました。
ですが、やっぱり絵やネームはもう少し丁寧に緩急をつけてほしいなと思いました。コマ割りとキャラクター線が全体的にちょっと見づらいかなと思います。例えばまず思ったのは、大事な登場人物が二人いて、主人公の方は比較的冴えない男性という設定なんですが、主人公の男性と元女王様がビジュアル的にすごく似てるように見えるんですね。それで単純に混乱してしまう。やっぱりそこは記号的にでも、主人公をちょっとモサくしたり黒髪にしたり体型を変えたりとか、差異をはっきりさせるというサービスをやってみてほしかったなとすごく思いました。自分が描きたいものをまず描くっていうのは圧倒的に正しいと思うんですが、それを投稿するっていうのは、それを見てもらって何かに繋げたいということなので、その時なりの整え方みたいなのをもう少し意識されるといいのかなと思いました。

椎名うみ  私はこの作品が今回一番良かったです。私は、漫画を商品という観点で見たときに、漫画っていうのは見世物だなと思っています。今回初めてこんなにたくさん新人さんの漫画を読んだんですけど、みんな漫画を物語として、形として成立させようということに強い意識が向かっていて、見世物であるという意識がちょっと置いてけぼりになっているのかなということを感じたんですよ。漫画を読むとき、物語が綺麗にまとまっているかどうかっていうことを求めながら読む読者の方ってほとんどいなくて、読んでるときにその過程が楽しいかどうか、そこに見るべきものがあるかどうかで読者の人は読んでると思うんです。だから最悪、すごい思わせぶりなことがいっぱい描いてあって、過程でいっぱい楽しいことさせたのにオチがそれかよ、みたいなものでもこれは商品になると思います。ちょっと誠実じゃないんだけど。それでも、過程は全く楽しくないけどオチは綺麗にまとまりました、という作品よりも商品になると思ってて。そういう意味でこの作品は終始見世物をちゃんと描けていたなっていう印象があるんです。
ボーイミーツボーイ、なのかな…。私これを『からかい上手の高木さん』と同じジャンルだと思って読んでたんですよ。つまり恋愛物で二人だけの世界で、そこにやりとりが生まれて、そのやりとりが萌えるよねっていうものだと思って。そういうものを終始ずっと描いてるなと思いました。この物語の説明しやすい面白みは、「女王様が性別を変えて男になった」っていうこととか「体が違うのに男の人を女王様として調教してた」とかそういう点だと思うんですけど、たぶんこの漫画の読者になる層で、その女王様のエピソードに関することに強い視点が行くのは少数派かなと思いました。それもすごく面白いところなんですけど、たぶんこの漫画の読者になるとしたら、そのマジョリティは、このSの子とMの子のやりとりの「萌え」を目当てに読むんだろうなと思うんですよ。その見世物をしっかり描けているなということを思いました。
コマ割りも縦に並べているだけで、よくある一般的な漫画のコマ割りはできていないんですけど、今漫画は携帯で縦読みで読むものがすごく流行っていて、この人は縦読みの漫画をすぐに描けるというのが強みだなと思いました。私は縦読み漫画を描けるかって言われたら、ちょっと勉強して体を慣らさないと描けないんですけど。

山田参助  私の感想はちょっと厳しめで…。やっぱりタイトルが良くないと思うんです。要するにこういう話だよっていう説明をタイトルで親切にしてくれているので、ハードルは低いよという導入にしてありますよね。そのうえ一コマ目で「僕はM男だ。」「仕事が充実してる訳でもない。彼女がいる訳でもない。見た目もよくないよいうマイナス要素ばかりの人間。」というふうに、これ一コマで全部この人のキャラクターを説明しちゃう訳ですよ。それはやっぱり早すぎるだろう、っていう。普通の漫画読みとしては、この主人公がどんな人かっていうのを、もうちょっとSMプレイの流れの中で説明してもいいんじゃないかと思うんだけど。ただ、それはいかにも普通の漫画の批評のやり方すぎるな、とちょっと思い直したのは、この漫画の構成は、すでに冊子になった同人誌的なメソッドで描かれてるなと思ったからなんです。3話とか4話構成なんですよね、これって。同人誌の形ではよくある構成なので、読み慣れてる人は「あ、こういうタイプの同人誌ね」というふうに読んでくれるんですが、商業漫画の構成とすると本当にそれでいいのか、という疑問はちょっとありました。
で、ここから先はすごく偏った見方をしますと、M男の人の言葉遣いがちょっと雑で、女王様への敬意が足りない。「また、cocoa様を指名していいですか」とか女王様に対して言っちゃ絶対ダメだと思います。「指名」なんて言葉、違うだろ!みたいな。正しくはやっぱり「また、調教していただけますか?」でしょう。

一同  (笑)

山田参助  この主人公はちょこちょこわがままなM男っぽいんですね。「ボクの望む通りの間合い、指示の出し方、痛みの調節…」「最高だった」ってお前ただの風俗の客じゃねえか、隷属心が足りないぞ!みたいな。まあでも一番大事なのは二人の萌え関係なので、ちょっとM男としてマズいんじゃないの?みたいな視点は意地悪すぎるかもしれないんですが。
たぶんこの人の描きたいことはプレイなんですよ。恐らく、勝手な想像だけど、描きたいプレイを野性の血の赴くままに描き続けていたら、意外と女王様の背景とかを描くのが楽しくなっちゃって、商業漫画的なものが芽生えてしまった作品なんでしょう。だけど、その商業漫画性が逆に命取りになっている部分もあるのかもしれないと思っていて。もっと純粋にこういうSMプレイが面白いんだっていうのを丁寧に丁寧に描いていった方が、良い漫画になるんじゃないかなという気がしました。
それでも体裁を整えようと思ったら、テキストの整え方がやっぱりちょっと足りないと思います。日本語の文章として間違っているようなモノローグもちょっと多くて…。ただ、急に「フジコちゃん」っていうキーワードが出てくるのはちょっと凝ってますよね。「俺もフジコちゃんなんだけどな」みたいな。そのキーワードが出てくるところだけが図抜けて気の利いた漫画メソッドなので、もうちょっと他のところでも気の利いたメソッドがあるといいなと思いました。そこだけ気の利いたポイント過ぎて商業漫画に見えちゃう。なので、そういうところを増やしていって商業っぽくなりたいのか、それともマニアックなプレイを描いて、マニアックなプレイで繋がりを強めていく人間関係がやりたいのか、どっちなんだろう。トーチ新人賞に送ったからにはやっぱりそれなりに商業的な風貌を目指す時期があってもいいのではないか、と思うんですけど。
それから、セクシュアリティとかマニアックなプレイのメンタルみたいな観点で考えた時には、M男の「女王様に人生かけて飼ってほしい」みたいな気持ちと、恋愛感情を一緒にして良いのかどうかといったことについてももっと逡巡してほしいと思いました。「私は奴隷であって、仕えたいけど恋愛を成就させようなんて、そんなおこがましいことは考えてません」っていうのが良いMだと思うんですよ。結果的に、女王様とM男の主従関係が、傍目に見ると恋愛関係だというふうに言われてもいいけど、あくまで二人の間ではそれは主従関係であって、恋愛関係よりも尊いものなのだという気概でぜひ頑張っていただきたいなと思うわけですよ。なので、これは単純にセックスプレイを楽しみすぎというか、もうちょっと精神的な主従の話にしていただけると、またグッとくるんじゃないかと。「なんかこの人たちのモノローグを読んでもこの人たちの気持ちがわからない!」みたいなところまで行ってほしいなと思うんですよね…。

椎名うみ  すごく悪いこと言っちゃうんですけど、山田さんのおっしゃるようなものが本当にめちゃくちゃ誠実なやつだと思うんですよ。すごい解像度が高くて。絶対それが誠実な漫画なんですけど、解像度がちょっと下がると、ライトになって売れやすくなるっていうのがあると思うんですよね。なので、誠実さを追求するのはそうなんだけれども、この解像度の低さも長所ではあるかなとは思いました。

山田参助  わかります。そのご意見も…。すごいわかる。わかるんですけど…。
ちなみにこの作品、完成原稿として読むと、まだちょっと仕上げが甘いのかなって印象があったんですけど、それは読まれていて感じなかったですか?

椎名・渡辺ペコ  感じました。

山田参助  この作品をはじめとして、投稿作品を読んでいて、そんなにつけペン使わなきゃいけないかな?って思うんですよ。つけペンで表現できるタッチというものの役割を今の絵柄はもう終えてると思うんです。例えば『カムイ伝』とかだったらGペンで描かないと思うけど、80年代くらいからみんな線を細くしちゃったので、その線を描くためにGペンを使うとかってあんまり必然性がない。漫画を描くからつけペンを使わなきゃみたいなこともみんな無理して考えなくて良いんじゃないかと、もうちょっと自分の絵をよく見せるための道具選びみたいなことも考えてもいいのではないだろうかとも思いました。

 

『漫画雑誌なんかいらない!』山口元気

漫画家を目指す主人公は、何度も編集者からこきおろされ挫けかけるが、同棲している彼女と道端のチョークおじさん(チョーさん)に勇気をもらい、また前を向こうとする。

渡辺ペコ  私は、一般商業誌的というか、読みやすく作られているものが好きなんだと思うんですけど、これはかなり好きです。投稿作を見ていると、描きたいものを描いているという点にみなさんの努力とエネルギーをすごく感じるんですけど、ではそれを何のために描いているのかということ、人に見てほしいものなのか、自分が描きたかっただけなのかということが意識されていない作品がいくつかあるように思ったりしました。そんななかで、この作品や『蟹を食べる』とかはそのあたりが明確で、それがちゃんとストレートに伝わってきて好感が持てました。
これもおそらく、全部じゃないにしてもご本人のご経験に近いのかなと思いますが、漫画を描いて投稿しているこの時期にしか描けない作品で、今の思いやメッセージを読める形にして出しているというコールがちゃんと感じられたので、レスポンスをしたいという気持ちになりました。
最初は淡々とした漫画かなと思いながら読んでいたんですけど、読んでるうちに主人公の感情が彼女とチョーさんによってどんどん煽られて強く動いていくところが、32ページの中で物語として主人公の変化が伝わるように描かれていて。最後、漫画を描くのをやめようかって思うんですけど、「やっぱり漫画はやめねーよ、絶対にやめねー」っていうセリフ、これをバシッと描いてくれたことにけっこうグっときて、心が掴まれました。あと、物語を動かしている彼女のキャラクターが好きで、彼女が彼に言うセリフがすごく生きた言葉でよかったです。もしかしたら本当にそういうことを言われたことがあるのかなと思ったりもして。彼を分かっているという関係性のなかでの彼女という人間の言葉には、フィクションでありながら、体温というか、個人を感じられてすごく好感が持てました。
メッセージを伝えるって、ちょっと野暮な感じもするじゃないですか。今はいろんな切り口の漫画があって、割とクールで上手なものとかもいっぱいあるなかで、ストレートな球を投げてもらった気がして好きでした。ある意味、投稿作の王道かもですが私はとても好きです。

山田参助  女の尻の描き方に遠慮がありすぎる! これから触ろうとする尻のシーンで良くない尻を描いていると思います。観念的すぎるし、もっと良い観念を持って! 尻に対して。といったふうに、身体の描き方にまだ不安定なところがあるのが気になるなと思ったんですが、シナリオ的にはすごくいい。構成が上手。
ただ、短編だから良いのかもしれないけれど、導入でチョーさんについて一コマ目で大体説明しちゃうのは、もうちょっとコマを使ってもいいんじゃないかと思いました。これが映画なら、最初、なんとなく主人公の説明をしながら地面にチョーさんの描いた落書きがあって、それを歩いて追っていくと、手元で描いているチョーさんの落書きがあって、引きの画でチョーさんの姿があって「この人がチョーさんです」っていうのが、ひとつのよくあるパターンだと思うんですけど、そういうふうに、もうちょっと丁寧にチョーさんってどんな人かを魅力的に描いてもいいんじゃないかなと思いました。でもそうしたらチョーさんばっかり立っちゃうかな? しかしチョーさんというキャラクターをこの話に盛り込んだことで、この作品は成功が約束された作品になったと思います。
僕がちょっと気になったのは、チョーさんが警官に捕まるところで、警官の声の掛け方は適切なんだろうか?ってことでした。警官がチョーさんに対して「あなたこんなくだらないことしていないで仕事しなよ」みたいなセリフを言うんですが、本当にそこまで突っ込んだことを言うのかな?とか。実際にチョーさんみたいな人に声をかける警官は、すごく社会規範に則っているうえにもっと残酷な言葉を言うんじゃないか。例えば、「どうしてこんなことしてるの?」とかって聞くと思うんですよ。で、そういう言葉こそ、彼女の部屋に居候しながら漫画を描いている人間にとってギクっとする言葉だと思うんですよね。そんなこと言われたくないわけで、そういうことを警官が言った時に、チョーさんと主人公は強くシンクロするんじゃないかと思うんです。そういうところがあると、主人公のチョーさんへの思い入れはもっと強くなるかなと。
彼女のキャラクターもとても良くて、こういう漫画でこういうしっかりした彼女の存在というのは大変心強いんだけど、彼女の力強さに自分を委ねる後ろめたさみたいな不安も、男性読者としてはすごく感じるんですよね。読みながら「なんだかんだ彼女いて上手くいってるじゃん!」という気持ちになりたくないんですよね。肯定してくれている彼女がいるから主人公の性格自体が成立しているともとれてしまう。
物語の中で、目的があってそれを応援してくれているパートナーがいるっていう構造に僕がすごく不安を持つのは、僕が80年代から90年代に青春を送ったからだと思うんですけど。90年代は個人主義の強すぎる時代で。最近は、仲間がいる、友達がいる、パートナーがいるっていうことが心強いことだよって肯定的に語る物語が増えてきていると思うんですけど、おじさんの習い性として不安になってしまうんですよ(笑)。もうこれはほんと個人的な話なんだけど、僕はそれで安心できないのでここにもう一捻りあると僕的にはいいなと思いました。
でも、ストレートさという意味で、この主人公はこれで良いと考えます。これで世界がひとつ完結している物語であるとは思いますし、チョーさんというキャラクターを置いたことが大事です。最後の彼女の笑顔も成立する毒をチョーさんは持っているというところでバランスがとれている。若めの方の作品としては創造的なしっかりした漫画だと思いました。
あとは人物の体をもうちょっとしっかり描くことが得策じゃないかなと思いました。主人公のモジャモジャ頭も本当にこの描き方でいくのか?ってところはあります。チョーさんの髪型と、彼女の髪型の整合性も取れていない感じもしました。ヘアメイク描写ってなかなか難しいと思うんですが、そういう困った時こそ、編集さんと一緒にディスカッションをするべきではないかと考えたりします。このキャラクターにこのヘアメイクは合っているのかとか、この髪型なら輪郭の描き方から変えなくちゃいけないんじゃないか、とか。

椎名うみ  なるほど、すごく勉強になります。私はこの漫画はわからなかったです。これはルサンチマンものだと思って読んだんですよ。ルサンチマンものだと、主人公が大抵受け身じゃないですか。なのでこの主人公も受け身でいいと思うんですけど、この主人公は、最後チョーさんを見て「漫画やめねぇよ」って言いますよね。でもたぶんこの主人公は、やめないけど頑張らないだろうなって思ったんですよ。お前、全然漫画描くのがんばんねぇだろって。
この主人公がきっと頑張るだろうみたいな予感や説得力を演出するのは、チョーさんの「俺は絶対やめねえぞ」という言葉に、主人公が共感して感動するところだと思うんですけど、この主人公の素直さや無垢さがいいものかというと…。たぶん彼はしょっちゅう感動したり、でもその感動はしょっちゅう無くなったり、心がふわふわ動く人なんだなって思います。そのふわふわ動く人の「漫画はやめねえ」にはカタルシスや説得力がないのでちょっとわかりませんでした。
で「理解のある彼くん」って知ってますかね? オタク界隈で「理解のある彼くん」とよく言われる言葉があるんですけど、たまにSNSで流れてくる「自分が鬱だったりどん底だったりしたけど回復しました」っていう漫画によくある、理解のある恋人の存在のおかげで回復できたというパターンを皮肉った言葉です。で、それの何が問題とされてるかというと、結局自分のことを愛してくれている家族とか恋人とか、他者がいないと回復しないって話なのか、ということですね。そういう他者がいないけど自分を重ねて読んでいた人は急に突き放された感じがするという、「それじゃ解決にならないじゃん」っていうのが、「理解のある彼くん」問題なんですよ。この作品は、そういうジャンルに相当すると思いました。彼女も「理解のある彼女ちゃん」じゃないかって。
でも、この提案は不誠実ではあると思うんですけど、「理解のある彼女ちゃん」って、最終的には本当に苦しい人を突き放す不誠実さがあるけど、夢を見れる人にとっては美味しいとこでもありますよね。そういう美味しさには需要があるので、この「理解のある彼女」ちゃんをもっと都合よくしてほしいなと思いました。この話はそこにはいかず、かといってルサンチマンものなんだけれどもどん底まで落ちきるわけでもないので、「理解のある彼女ちゃん」ものの都合の良い美味しいものとして楽しませるか、あるいはルサンチマンものとして地獄の果てまで行って、最後「俺は絶対やめねえ」なんか言わない主人公にしてしまうか、どっちかにしてほしかったなって思いました。

山田参助  私の不安はでもそういうことですよ。ただ、このミニマムな家族というか、理解のあるパートナーがいる生活みたいなことを否定しきれない2021年問題みたいなのがあって。これ90年代だったら破壊しかないんですよ。「もう家族は皆解散だ!」「みんなそれぞれ頑張って生きていくんだ!」みたいな。でもどうもそれはそれで問題あるらしいぞ、となってきて。一人で生きるって言っても、ホームレスになって石で打たれて死んじゃったりとかするわけじゃない。そこを、物語はどういうふうに描いていくべきなんだろうかってことは思うんですよね。80年代とか90年代とかは家族というものは否定案件だったんだけど、今はあれはあれで意味があったらしいぞって感じがしてきてもいるので、それを食わせるだけの演出力や、寒いと思わせないやり口を考えないとまずいんじゃないかって考えているんですけど。そういう問題にこの漫画が触れているのかはわからないけど、そういうこともこれからの漫画の課題ではあるのではないか、みたいなことを考えたりします。

渡辺ペコ  ここでいう「理解のある彼女ちゃん」って青年誌の定型だと思っていて。すごい長い話でも男性主人公が葛藤したり感情を吐露したりする時って大体女の子が介在してきて、何故か主人公を好いてくれる美女がいる…。青年誌で出てくる若い男性はなんだか知らんけどやたら魅力的な女の子に認められているっていうのは割とある定型だと思います。それに納得している訳ではないんですけど、その王道の形を32ページで型として使うのは私は全然ありだなと思ってて。この作品では、それがとびきりの美女とかじゃないところに少し現実味を持たせるといった加減調整もしているなと。
あと、みなさん「この主人公はこのあと漫画やめるだろ」って仰ったけれど私はやめないと思います。もしやめても、この主人公がこのときちゃんとネーム描いて持ち込みしていたことを私はすごいと思います。私はこの先も描くと思うし、やめたとしても全然いいと思います。そう思える漫画でした。

 

『栗子さんの選択』熊鹿るり

38歳になった下宿屋の娘・栗子は、死んだ元彼の遺子である杏を下宿に受け入れることになってしまった。つかみどころのない彼女の様子に栗子はときめきを隠せない。

山田参助  この作品はさっき話題に出たように、もう少し削ってシェイプできる作品かもしれないなと思いました。応募コメントを読んだら“年の差百合”を描こうとしたとのことなので、なるほどと思って読んでみると、百合的な萌えや恋してる感じというのがまだ導入すぎて全然描かれていないこと、それからキャラクター同士の人間関係がふんわりしすぎているところに不安を感じました。
気になった点は、大家の娘である主人公が、自分の下宿に住まわせることになった女の子のイヤホンを壊してしまった時に、それを直そうとすぐ部屋から持っていって同じ下宿の青年に直してもらうという展開があるんですが、「受け流す人」として描かれている主人公が、イヤホンを壊してしまったときにすぐ謝らなかったことと、青年に直してもらった時にもお礼を言わなかったことがすごく気になりました。普通大家の娘という立場だったらそこですぐ謝ったり、すぐお礼を言ったりはすると思うんですよね。また、それによって主人公がその女の子に嫌われたくないという気持ちが感じられず、その子との百合的な距離感を読者がつかみにくくなってしまっているんです。実際、百合的な要素の導入も、お風呂上がりを見てドキドキしたりブラジャー見てドキドキしたりと、けっこう肉欲スタートなんですよね。この人にとっての百合はそういうものなのか、という齟齬も少し感じました。例えば、主人公と死んだ恋人とその娘という関係性や、若い女の子と自分との年齢差に感じる気持ちなど、そういうことから百合が始まったり深まったりするという方向性もあるのではないかと思うんですけど、そういうことは描かれないんですよね。そこがちょっと気になるところで。読みやすいんですが、期待する感情の流れが起こらないという感じでした。
年齢差をふまえた恋愛を描くのであれば、自分が若い人と関わる時にはこうしておこうと取り決めたルールがまずあって、それがうまくいかなくなってそのポーズが壊れてしまうとか、そういうことが描かれないと、年下の女の子との百合は始まらないのではないかと思いました。自分の言動によって相手の若い娘さんがどう思うだろうか、ということを想像して行動するシーンがないので、人間関係としての事件があまり起こってないような気がするんですよね。まず「大人のわきまえ」があって、それを超えてしまうほどの肉欲が出てくるからドラマが起こるんだろうと思うんです。
そもそも、主人公が「自分は受け流す人間だ」という程度の自己分析は持っているんですけど、自分の過去についての振り返りや、それに対しての自分についての仮定の結論がなさすぎるのが、読者を不安にさせているので、そこをもう少し押さえてほしいなと思いました。
絵や漫画術に関して言うと、なんとなく今っぽい漫画のメソッド、少し西村ツチカさんなどを思わせる表現を入れたりもしているんですが、この人の根っこは高橋留美子だと思うので、もっと高橋留美子をちゃんとやった方がいいんじゃないかと思いました。力はあるので演出の方向性をまとめるということが大事かなと思います。

椎名うみ  私はこの漫画があまりよくわからなかったです。物語的にはよくわからなかったんですが、感情に伴う空気を絵にするのがすごくお上手な方だなと思いました。その時々の感情の空気が登場人物の表情や背景などにすごく出ていて、特にそれが背景に出ることってなかなかないんじゃないかなと思うので、それはすごく美点じゃないかなと感じました。それと、エッチな柔肌を描くのもすごくお上手で、これもすごく美点だと思います。

渡辺ペコ  私は、この作品の線と絵とセリフの雰囲気はすごく好きな感じでした。自分ができない柔らかい線の人物と背景がすごくよくて、また絵による心象の比喩表現も好みでした。
ただ、設定が込み入っているのに、込み入っている必要性があまり感じられなかったです。なぜ死んだ元カレの子供じゃなきゃいけなかったのかとか、年齢設定であるとか、どれだけ意識しているのかも気になりました。私はおそらく肉感的な杏ちゃんの身体への劣情のようなものを描かれたいんだと思いましたし、このあとの展開で描かれるんじゃないかと思ったんですけど、これを投稿作品として読ませようという時には、やはり描きたいことをもっと整理して見せるべきかなと思います。設定をここまで盛る必要はなくて、年の差百合と、欲情する気持ちとそこへの葛藤、そして全体を流れる空気感をうまく入れられるフレームを用意してあげてほしいと思います。絵柄や空気感が好みで読み進めた私でも、何も始まらない感じはやはり感じますし、早く展開を読みたいと思いました。ゆったりした表現自体は否定するつもりはないですが、どういう好みの人でも読めるように一度短くまとめる練習の必要はやはり私は感じました。

 

『ただ、そんだけ。』我妻ひかり

援交相手の教授が売春の擁護発言で炎上していた——。合コンでも学校でもいまいち馴染めない大学生のテンコには、社会で見かける正義はどこか空虚に見える。

渡辺ペコ  これは私の好みに近い感覚で、読みやすくもありましたし面白かったです。ストレスなく読めたのでネームが上手な方だと思いました。それに主人公が好きです。私とは世代が違うので本当のところはわかりませんが、この感じが今の若い子のリアリティなのかなと思わせる力がありました。ふわっとしたコミュニケーションで、お互い「そんなもんだよね」と流れていく感じ。10~20年前のFEEL YOUNG系というか、2000年代に私はよく読みましたが、それの今版のような印象も受けました。
上手だと思う反面、タイトルに表されるように、あらゆることに淡々としている主人公が淡々と過ごしている様子は「いいな」と思うんですが、それ以上に刺さるところがなかったので、もう少し伝えに来てほしい、こちらに投げてきてほしいなと思うところがありました。

山田参助  確かに雰囲気がいい漫画で、特に修平くんのキャラクターデザインが素敵だと思います。飲み会のシーンのけだるい感じとかもすごくいいですよね。もう少しという点は、身体の絵が少し弱いところで、エロい水着を着ているシルエットがちゃんと描けないと「えっちな水着ってなんかかわいい」というところが弱くなっちゃうような気がします。
それから、雰囲気はいいんだけど、この女の子のことを好きになるかというとあんまりそうではなくて。なぜかというとシナリオの構造に問題があって、最後の結論となる「えっちな水着って なんか、かわいいやん。ただそんだけ。」というのは、僕はいらない結論だと思いました。最後にこの結論が出てきて納得できるかというと、納得はできないわけです。たぶんこの主人公はそうは思っているんだけど、これを最後に持ってくるとこれが彼女の思想なんだという結論になっちゃう。作者としては、彼女のそこまで強くない意思を描こうとしているはずなのに、演出としては強い意思になってしまっているので、女の子にあまりいい印象を持てなくなってしまうと思いました。もっとふんわりとした、若いがゆえの不定形な気持ちや「思想がないことが思想だ」といった雰囲気を表すにはおそらく違った演出が必要です。例えばこの結論をカットするとか、あるいは修平くんとのキスシーンにこのセリフが被ってくるのだとしたら、「それが彼女の続いていく日常なんだ」というふうに読めて、結論めいたものに見えずに済むんじゃないでしょうか。「思想がないのが思想」という物語なので、結論を出しちゃだめかなと思います。ただ、この漫画で描かれるコミュニケーションに「僕が世代的についていけてないのかな」と不安にさせるような物語というのは、それはそれでいいものだとも思いますし、僕としてもこういう作品を読んで不安になりたい欲望もあります(笑)。
あえて意地悪なことを言うとしたら、自分が可愛いと思っている水着を、結局男の前で着て見せて評価してもらうというのはどうなの、というのは思いました。社会で色々言われるなかで、ただ自分の気持ちを誰かに聞いてほしかった女の子の話というふうにも理解はできるんですが。

椎名うみ  私はこの作品もよくわからなかったんです。分かる人はもう少しアンテナが張られているから面白ポイントを拾っていけるんだと思うんですが。私は、読者は必ずしもオチのために作品を読むわけではないと思っていて、過程が楽しくないと読まないんじゃないかと思ってるんです。何が言いたいかというと、タイトルにもなっている一番最後のセリフがこの漫画の見せ場であり魅力だと思うんですが、オチのために過程があるのではなく、過程自体を見世物として楽しませるために描いてほしいということをこの作品には思いました。ただ、私がこういった作品に対するアンテナが低いので、過程にある面白いポイントを拾えなかったというのもすごくあると思います。彼女のメンタリティは全然わかるんですけど、エンタメとして私は消化できなかったという感じでした。

渡辺ペコ  作者が面白いだろうと思って描いている部分も、読者の感性との相性によっては感じ取れなかったりというのもありますよね。自分が面白いと思って途中に配置している面白ポイントが本当に読者に面白いと思ってもらえているのかというのは難しいなと思いながら自分もやっています。読者の面白がってくれるポイントも連載と単行本でまた違ったりもしますし。
今日の審査でも感じましたが、作品が面白がれなかったり合わなかったりという際の具体的なポイントは人によって様々なんだと思いますね。

山田参助  椎名さんの言う「過程を面白く」というのは漫画をこれから描く人にとってはひとつの道しるべになるような素敵な考え方ですね。僕も漫画を描き始めたときはなにを優先して描いていけばいいのかがわからなかったので、そういう人にとっては「最後が破綻したとしても過程が面白いのがいい漫画なんだよ」と漫画の先生にビシッと言われたら「へ~~」と気持ちが楽になる言葉じゃないかと思います。
僕は自分が読者として漫画を読むときは、セリフと表情が合っていない漫画がしんどいんですよね。なので、自分が漫画を描く時に読者に飽きられないようにする手段として、まずキャラの表情を工夫します。「この瞬間このセリフを言ってるこの人の表情はこれだ」というふうに、顔がばっちりセリフと合っていれば「読んでも(信用しても)大丈夫だな」と思わせることができると思っているんですよね。まず感情に訴えかけるという。

 

『冥漠』横山陽香

東京で暮らす私は、父が自殺したという報せを受ける。田舎に帰って葬式をすませるなかで、今はいない父のこと、残された母のことについて考えることになる。

山田参助  大変絵が丁寧で、特に前半に引き込まれました。視点の切り替えとかがすごいいい感じだなと思いました。部屋の上からのカメラから始まって、徐々に寄ったりして、新幹線に乗るというところまでの流れが丁寧ですよね。主人公の後ろに別の家族がいてその家族と同じ新幹線に乗ってという。こういった視点の切り替えと、女性のキャラクターのファッションとか佇まいが大変魅力的な作品だなと思いました。
この方は女性の可愛さの表現がちょっと普通の人より上手いと思うんです。抜群にいい表現として、19ページの1コマ目のこの表情は漫画の表情としてすごい頑張ってる!って感じがしました。普通、この目のサイズのキャラクターでこういうタイプの感情表現の表情を描くということはあまりないことなので、ちょっとこれで一つの仕事を成していると思いました。美点に関してはそこだと思います。生の感情に迫っている。だいたいの人はもうちょっと嘘泣きの顔とかしちゃうんですよね。涙とか描いちゃったり。さらにその涙を描く時に、涙の雫が目の中央を流れるのか端を流れるのか両側から流れるのかを選択することで、その人がどのくらいその感情を描こうとしてるかみたいなことがバレてしまって危険なんですけど、それを描かずに、泣く前のグッときているところを描いたということがこの人の才能だと思います。
しかし、「お、絵がいいぞ」と思いながら読んでいって、最後まで読むと「あ、こういう漫画だったのか!」という感想になりまして。このシナリオだとしたらキャラが可愛すぎたなと。身辺雑記的な、話の掘り下げなさ具合から考えると、こんなに掘り下げがありそうなキャラクターデザインでやるのはマズい。なので、掘り下げる方の漫画家になりたいのか、クールな身辺雑記的な方で行きたいのか、どっちでいきたいのかという話になるかと思います。
主人公をこのキャラクターデザインにするならもうひとドラマ、ベタなエピソードが必要になってくる。普通の漫画だと、ここで、妹にはない、お姉ちゃんである自分とお父さんの個人的なエピソードというのが描かれて、大人になった時にそれを思い出して主人公がどう思うのか、というのが入ってきたりするとイイと思うんですけど、そういうものをこの漫画は目指していなくて、たぶん身辺雑記的なものをやりたいんですね。それで背景とかを丁寧に描くことによってそれができると踏んだんでしょうけど、それでもちょっとキャラが可愛すぎるんですよ。キャラクターが可愛くて華があるのはこの人のすごい強みなのに、それを活かさないのはちょっともったいないんじゃないかな。
でも、キャラをそのままに、もう少しエピソードを足した丁寧な身辺雑記を漫画にできたら、ぐっと良いものになるかもしれないな、とも思います。こういうシーンが欲しい、こういうカットが欲しいというのを描ける人であるがゆえに、ふくよかな作品を描けるようになる伸びしろがあると思います。基本の体力が強そうで、連載に向いてるタイプかもしれない。
意志強ナツ子さんがお好きとのことですが、その影響はありますよね。男性を描くのが苦手なので、苦手な男性を描く時に意志強メソッドを逃げの手として使ってる感じがするのが気になるところで、女性のファッションが大変上手に描かれてるのに比べて、男性ファッションの投げやりさがちょっと気になるというのもありました。

渡辺ペコ  恐らくこの方が個人的にご経験されたか近くであった出来事を元に、すごく丁寧にその体験を通してこの一つの場面や事象を描かれたのかなと思いながら読んだんですけど、それがすごく細やかに伝わってきて。例えば26ページのお葬式の場面とか、こういう実際の風習があるのか私はわからないんですけど、印象深くて「あ、なるほど」と思いながら読みました。この葬式の場面とか一連の流れは私はけっこう面白く読めました。
全体として絵をしっかり丁寧に描き込まれるので、画面としてはちょっと重めな印象があるんですが、最初の方は特にそこに説明的なモノローグを画面にけっこう入れてしまっているんですよね。なので文字量=ネーム量もけっこう多くて、一生懸命説明をするかたちになっています。ネームをなくしているページなどは私はすごく好きだったんですけど、基本的には絵を見たらいいのか文字を見たらいいのかで少し混乱して上手く入り込みづらいかなと思いました。
あとは会話に関して、ここは私の好みの問題なんですが、日常の会話であまりないような長台詞が多いのが気になりました。あえてそういう形をとるのはもちろんアリなんですが、この作品の場合は日常の雰囲気を出していそうな場面で、意図せず説明台詞になってしまっているように見えるところもあって。例えば30ページでは、日記の文字の上にバーっと説明のモノローグが被ってきて、さらに家族の会話でみんながけっこうな文字量を喋ってしまうので、ちょっと目が滑ってしまうんですよね。すごく雰囲気のある世界観と絵なんですけど、なかなか上手く入れず何度か目が滑っちゃうみたいな感覚がありました。もっとネームをブラッシュアップして削っていった方がこの絵の良さが生きるんじゃないかなと思います。
あと、もしかしたら山田さんと近い感想かなと思ったのが、出来事をすごく丁寧に描かれてるんですけど、ラストでそらされた感じがしたことです。この事象を丁寧に描くことで読み手に対して何が言いたいのか、という部分で、「これを見てください」なのか、「こんなことがありましたよ」なのか、あるいは「これがとっても悲しかった」とか。そういった自分にとってとてもエモーショナルな出来事だったところをすごくそらされた感じがして。お父さんの死がコアなんだけど、そこにはイマイチ踏み込まないというか、薄い感じに見えてしまって。最後タバコを吸ってすっと感情を抑えるのは、意志表明ではあるんですけど、けっこう凡庸な終わりに着地してしまっているので、ここまで丁寧に描いてきた分ちょっと物足りないというか、もう少し掴んでほしいという感覚がありました。
けっこう厳しめになってしまいましたが、すごく雰囲気が良く、絵とテーマみたいなものもマッチしていて、そこはすごく魅力的だと思いました。あと、繰り返しですがネームが少ないところのページはじっと見られて描きこみもすごいので楽しかったです。

椎名うみ  まず、絵がかわいいっていうのはよく言われる感想ですけどそれはすごいことですよね。やっぱり漫画は絵が大きな武器のメディアなので、絵がかわいくて、絵を見ただけで独特の世界観を伝える雰囲気がある、この作者特有の世界に連れていってもらえるっていうのはすごい武器だなと思います。
わたしはこの作品をエッセイものという認識で読んでいたんですが、エッセイものって物語のダイナミズムみたいなものがあまりいらないものだと思うんですけど、エッセイもので、ダイナミズムのある物語よりも大切にされなきゃいけないものっていうのが、「発見がある」ということだと思うんですよ。発見の連続を描いていくのがエッセイものなのかな、そして読者の人はそれを求めているのかなと思うんですけど。
他の多くの漫画でも思ったんですけど、今回これを読んでいて感じたのが、出来事を描いているんだけど、その出来事でどんな発見があったのかということへの踏み込みがちょっと浅いなというところで、それはすごくもったいないと思いました。発見ってどういうことかというと、例えば13ページで「なかなか寝付けずにいると、お母さんの泣いている声が聞こえた」とあって、ここは良いなって思ったんですよ。これはちょっと踏み込まないと描けないコマだなと思って。発見を描けるということは、読者にその体験をさせることができるということだと思うんですけど、この「なかなか寝付けずにいると、お母さんの泣いている声が聞こえた」っていうのはすごく追体験ができるんです。お父さんが死んだ家に帰ってきて寝ていたら、夜中にお母さんの泣き声が聞こえたっていう。「あ、こういう踏み込みいいな」と思いました。こういうことをもっと他のところでもやってほしかったですね。ただ、やってないからこそクールな印象はあって、そのドライさも魅力ではあったんですが、エンタメとしてはもう少しそれが欲しいと思いました。
絵的に好きだったところはお父さんの死体がお花だけで浮かび上がっているところ。20ページのお花がふわ~んってなってお父さんの首だけ出てる絵は好きです。死体ほわほわ、お花きらきら、みたいな感じで素敵だなって。ここはエンタメ性を満たしているところかもしれません。

山田参助  今お母さんが泣いてるシーンについて言及されましたけど、ここをエンタメ的にふくらませようと思ったらきっとここから1ページ要るんですよね。それに、このシーンよく見ると隣で寝てるんですよ。隣で寝てるのにノーリアクションかよっていうのはありますね。

椎名うみ  そうだ、リアクションが少ないっていうのが踏み込みの浅さに繋がっているのかもしれないですね。ちょっと他人事感が強くなってるんですね。ドライにしたいんだったら、ドライに見せる演出としてやっていますということを読者に伝えてほしいですよね。そしたらそういう人としてこっちは乗れるようになる。たぶん作者の方もドライ寄りの方で、そこが非常に魅力なんだと思うんですけど、今のままだと踏み込みと発見がちょっと少なすぎてエンタメに満たないので、かといってものすごく増やしてしまうとドライな良さがなくなるので、せめてキャラクターのリアクションじゃなくても、キャラクターが客観的に見た風景から、読者が踏み込みの追体験をできるような描写があってもいいんじゃないかなと思いました。

山田参助  おそらくこの方はエッセイ型なので、踏み込むために同じエピソードを何度も描くっていうのをやればいいんじゃないでしょうか。次は母を主人公に父の死をもう一回振り返ってみましたとか。供養としての漫画。そうやって自分の出来事の消化のために漫画を描くっていうのも素敵なことではないかと思います。

(おわり)