トーチ

2025年6月30日 月曜日

『あみかはポテトになりたかった 小川しらす作品集』編集後記

 この本のページをめくって絵をじっくりと眺めてみる。背景にはどんな小物が描かれているか、どんな文字が描かれているか。モブキャラクターたちはどんな顔をしているか、どんなものを身につけているか。どんな線が描かれているか。見れば見るほど楽しく、そして驚かされるものがある。子どもたちを取り囲む小物の質感や、学校で配られるプリントの細かな文字から床の木目まで、細部が主役になりうるほどの豊かな絵。子どもたちのちょっとしたセリフの生き生きとしたリアルさ。きっと見るほどに作品の世界は確かな手触りをもって迫ってくると思う。

 小川しらすさんの描く漫画は、さりげなくも驚異的だ。ここに描かれている子どもたちの姿には、ひとつも嘘がないように思える。大人たちだってそうだ。全てのキャラクターが本当に存在していてもおかしくない姿や様子で画面のなかに写っている。だからこそ、彼女や彼らは誰にでも好かれる素晴らしい人物でもなく、一方的に可哀想な人物でも救いのない意地悪な人物でもない。現実の子どもの世界と同様に、本来なら知り合いにもならなかったかもしれないような違った境遇や生き方を持つ子どもたちが同じ空間に集められ、その状況になかば戸惑いながらごちゃごちゃと過ごしている。抱えているものも千差万別に。

 家庭の崩壊や学校での孤立など、一見すれば暗い題材を扱っているように見える小川さんの作品には、不思議なことにたいへんなパワーと明るさがある。きっとそれは、生きるための欲望や渇望が描かれているからだ。思春期の子どもたちが抱えている埋められない孤独や空腹や羨望は、必ずしも素直ではない形で表に現れる。自分もそうだったし、他人の厚意を無下にしたり、誰とも関わろうとしなかったり、何もかもを壊そうとしたりする、この本のなかの子どもたちもそうだ。自分の渇望を無意識に表現しているのに誰にも伝わらない。でもそんな彼女や彼らが、関係なく思えていた他人との出会いを通じて自分の抱える渇望を不恰好でも表に出せたとき、世界が少しだけ開ける。小川さんの作品で描かれるその瞬間には言い表せない感動と前向きな力があって、なぜかもわからず涙してしまいそうになる。

 この本の中にもし嘘に見えるものがあるとすれば、かけ離れた人同士が出会ってお互いのことを認められるようになることかもしれない。現実ではなかなか起きないことだ。本に収められた4つの話はどれも、まるで合わないように見える二人の出会いを描いている。出会い方も最悪で、相手を傷つけるし自分も傷つく。だが、その先でお互いを少しだけ知る。収録作「グリンメロングリーン」について、小川さんは中学のころの忘れられない同学年の生徒をモデルにして描いたと言っていた。かつて嫌いだったその彼のような人物を描くことでわかろうとしたとも。それを聞いて、小川さんはその人とこの作品を通じて出会い直せたのではないかと思った。だから、境遇の全く違う他人とお互いを認め合えることを、小川さんは「嘘」だとは思っていないだろう。自分もそう思う。目の前の人は価値観も合わず気に障る人間かもしれないけれど、少しの時間食卓を楽しく囲むこともできるかもしれない。食べ物がどの話でも印象的に描かれる本作を読むと、自分はそんな希望を持つことができる。

 まずはこの本を、そしてこれからの小川しらすさんの作品もぜひ読んでみてほしい。その中にはきっと私やあなたもいるはず。

(編集部・中山)

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