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第十章 「養老」と「敬老」という言葉 1

 かつては、自立生活が難しい高齢者が入る施設のことを「養老院」と言った。いまで言う、「老人ホーム」(正しくは「有料老人ホーム」と「老人福祉施設」)のことである。
 制度上では、一九三二年(昭和七年)に遡る養老院は、終戦後の一九五〇年に「養老施設」と呼び名が改められ、一九六三年(昭和三十八年)に老人福祉法が制定されると、現在のように老人ホームと言われるようになった。こうした改称には、養老院という言葉が孤児院などともに、暗くて閉鎖的なイメージをともなうものだったからだとみられている。
 しかし五十代半ばの私でも、養老院という言葉があったことは覚えている。おそらく昭和ひと桁生まれの両親が、こういった場所のことを養老院と言っていたからだろう。養老施設の方はほとんど聞き覚えがない。
 こうした場所とかかわることのない人でも、「養老の瀧」という居酒屋チェーンがあることは知っているだろう。
 養老の瀧は、一九三八年(昭和十三年)に木下藤吉郎(本名矢満田富勝)という人が長野県松本市で創業し、五六年に神奈川県横浜市に第1号店を開店したという。チェーン名は藤吉郎が、岐阜県にある「養老の滝」をめぐる言い伝えに心をうたれ、「親孝行と勤勉」を社是として名づけたのだそうである。
 養老の滝に伝わる「養老孝子伝説」は次のような話である。

 昔々、美濃国のとある山の麓に源丞内という貧しいきこりが住んでいた。懸命に働き、年老いた父親を養っていたが、貧しかった源丞内は、父親の好きな酒も買うことができなかった。
 ある日、山に薪を採りにいった源丞内は、滝の水を眺めながら「あの水が酒であったら」と物思いにふけっていると、岩の上から足を滑らせ谷底に落ちてしまう。するとどこからともなく酒の香りが漂ってきたのであたりを見回すと、石のあいだの泉から、霊妙な味わいの美酒が湧き出していた。源丞内はその酒を瓢(ひさご)に汲んで帰り、父親に飲ませた。
 父親は、一口飲んでは驚き、二口飲んでは額を叩き、三口飲んでは手を打って喜んだ。泉から湧き出る酒は評判となり、遠く奈良の都まで知れ渡るようになった。元正天皇もここまで足を運んで、「醴泉は、美泉なり。もって老を養うべし。けだし水の精なればなり」、つまりは、源丞内の親を思う気持ちを天地の神がお褒めになったのだと称賛した。そして、「霊亀三年を改め養老元年と成すべし」との詔(みことのり)を出し、元号を「養老」に改めたのだった。

 「養老の滝」は落差三二メートル、幅四メートル。日本の滝百選にも選ばれている。京阪神からだとたとえば、比較的ちかくにある関ケ原の古戦場などとあわせて出かける、ポピュラーな観光地だ。私もずいぶん子どもの頃、家族でそのコースをドライブしたことがあった。しかし、滝は迫力に乏しく、古戦場もたんなる野っ原で、がっかりした記憶がある。
 あれから何十年も経ち、たまには「養老の瀧」で酒を飲むおとなになったけれど、実際には酒が湧き出るわけもない、「養老の滝」の方は再訪する機会がない。
 ところでいまどきでは、「老人ホーム」のことをたんに、「施設」と呼ぶことの方が多い。親を入れている私自身にしてもそうだ。そうして「養老院」という言葉の方がどこかゆかしく、しっくりくるような気がするのである。

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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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1984年広島県生まれ。
2003年にキヤノン写真新世紀で荒木経惟氏より優秀賞を受賞、写真家としてのキャリアをスタートさせる。広告、雑誌、CDジャケット、PV等幅広く活躍中。
著書に『働けECD――わたしの育児混沌記』(ミュージック・マガジン)、『かなわない』(タバブックス)、『家族最後の日』(太田出版)がある。
『文藝』(河出書房新社)にて「24時間365日」を連載中。
http://ichikouemoto.com/

畑中章宏(はたなかあきひろ)

1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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